ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(30)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 4/23)

「はあっ、はあっ、はあっ、……」
 長い廊下を彩る真紅も眩しい絨毯の上を走る二つの影。
 走り難そうなドレスを物ともせず、スカートの端をを軽く抓み上げて優雅に駆け抜ける緑色の影。そしてその4歩後方を蟹股で追走するマント姿の黒い影。絨毯のお陰で無様な靴音がしてこないのは幸いだったのかも知れない。
「……いっ、一体、はあっ、何事な、のだあっ、テっ、テレサあっ!」
 やっとこさそう叫んだヨーロッパの魔王様は、すっかり息が上がってしまっている。
 無理な発言で走行の調子が乱れたのか、前方との距離が更に一歩広がった。
「……せっかくうっ、師弟のきゅうっ、ふうっ、旧交を育うっ、はあっ、育んでおったとおっ、いっ、云うっ、云うのにひいっ!」
 更に一歩、大きく開いたイヴニング・ドレスの背中が遠ざかった。
「……何なのだあっ、はあっ、あっ、あのっ、ぶすっ、ぶすぶすっ、ぶすっ」
「誰がブス、なんですの!」
 ドプラァ効果の所為で遅延気味に成っていたカオスの声は、今漸く先行するテレサの耳に入ったようだ。
「ブスでは無いっ! あの無粋な警報は何なのだと言っておるのだ! あのテカテカチラチラする赤い回転灯とピポパポピポパポ言う喧(やかま)しいサイレンはっ! お陰で警察にお世話に成りそうになった時の屈辱を思い出してしまったではないかっ! くそうっ、取り調べの時に黙秘を貫き通した者にはカツ丼が出るのではなかったのかっ! 何と食事や日用品の注文は尽く自腹だと言うではないかっ! しかもっ……うおっ!」

ドサッ!! ……カラカラカラ。

「あっ、カオス様!」
 慣れない走りの所為で只でさえ酸素不足気味であった事をも忘れて、感情の赴くままに演説を打っていたカオスは、そのまま脚を縺れさせて前のめりに転倒した。テレサはそのままのUターンして大の字で伏せたままのカオスの元へと駆け寄る。
「大丈夫ですの、カオス様!」
「……ぜえっ、ぜえっ、ぜえっ、……あたたた、何だ! この棒切れは! ふう。」
 たっぷり三十秒後、カオスは一応の呼吸を整えて、ゆっくりと面を上げた。同時に左方の手元に転がっていた長さ30センチの棒切れ、即ち転倒の直接の原因を忌々しげに手繰り寄せる。
 絨毯のお陰で幸い顔面が無傷であったのを確認すると、テレサは安堵したように微笑んだ。
 見上げるカオスの頬も僅かに緩む。
「……あの病弱だった娘が、あれだけ走って息一つ乱しておらんとは。ふふ、これが若さ、かのう……。」
「止めて下さいな、カオス様。 そんな事を言っていては今度こそ『ヨーロッパの魔王』の二つ名が泣きますわよ? それに……、」
 そう窘(たしな)めるように言いながら、テレサはカオスに手を貸す。手袋越しに伝わる、思いの外に力強く握り返してくるテレサの手の温もりに苦笑を隠せない。片膝を付いてゆっくりと立ち上がりながら、カオスはテレサの言葉の続きを待った。
「……それにこう見えても、この元気を保つのには結構苦労しているんですのよ? 食餌や運動は勿論の事。昔のとは違いますけど、今でも偶に薬を飲んでいますし……ほんの栄養剤ですけどね。」
 抜けるように白く艶やかな肌の光沢は、出征した夫の身を案ずる一児の母親である事を感じさせない、若々しさに満ち満ちていた。そう、まるで初めて出会った時のような薄明かりの下で、何処と無く幻想的な……ある種の危険な匂いを発散している。
 カオスが我に帰った時には、テレサの顔を見下ろしている。すっかり立ち上がっていた。
「あ、そうじゃ! あの警報は一体、何なのだ?」
 半ば取り繕うかのような調子の師匠の問いに、テレサは何も答えずに目を伏せる。
 握り締めた両の拳が静かに震えている。
 カオスは良く知っていた。この物静かを装いながらも内に熱い情熱を秘めたこの女性が、人に話せない後ろめたい事を抱えている時、これと同様の仕草を見せると云う事を。
「…………」
 師匠は何も語らず、ただ優しく愛弟子の肩を正面から抱き締めた。
 長く甘い夜の静寂に、遠くの潮騒が仄かな苦味を添える。
「……あれが暴走を起こしているんです。とうとう、完成させてしまったあれを……。」
 何も答えないカオスの広い胸板は、テレサの顔面を優しく受け止めている。
 恰かも懺悔の言葉を、直接心で受け止めようとするかのように。
 鋭く、女の肩が震えた。
「……そう、『煉獄炉』を……。」


「……そう、これは『煉獄炉』。似てはいますが『地獄炉』ではないのです。……異教徒の貴方がたには少々説明が必要ですね。では極めて大雑把に掻い摘んで説明いたしましょう。煉獄とは中世カトリックの教義において、天国に行く程には純真でなく、地獄に往く程には罪深くない魂が、その身を清めて善行を積み、やがて天国へと至る為に用意された霊的世界。」
 プロフェッサー・ヌルは、これこそが教授の本領発揮と言わんばかりに、嬉々として講釈を始めた。彼は八本の触手の内の一本、嵐の触手を誇らしげに立てている。

 嵐の触手は恐ろしい武器だった。触手の先から放たれるのは一陣の突風。それ自体に殺傷力は無いが、風は放射状に広がって広範囲に点在する複数の対象物を薙ぎ倒す。
 美神は油断した処を突風に吹き飛ばされ、壁に激突して深刻なダメヂを受けた様である。
 ピートは、人造吸血巨人のタフネス振りに思いの外に手間取っている。
 キヌは、ネクロマンサーの笛を無くしてしまった上、幼いピエッラを抱えている。
 そして横島は、今回特ににイイ目を見ていない所為か、そう大量に文珠が出せる程には煩悩パワァが残っていないのだった。しかもつい先程、件の突風を防ぐ為に早速一個を使ってしまった。このままでは、あと二つも出せれば上出来だろうか。
 下手に動けば恐らく攻撃される。この場は取り敢えず、時間を稼ぐしか無い。
 そこで試しに、ヌルに向かって適当な問いを幾つか打付けてみた処、どうやら『地獄炉』と云う言葉が上手く当たってくれたらしい。
 横島はキヌとピート、そして美神と視線で頷き合う。背骨と内臓に衝撃を受けた美紙が痛々しくも笑い返してきたのを最後に確認して、横島は得意げに語るヌルと正面から相対した。

「煉獄送りになる魂には罪の軽重の他にも条件が有ります。例えば、キリスト教誕生以前に命を落とした善人・偉人。彼らは喩え善良であってもキリストの教え、即ち天国へ至る方法が分からないのだそうです。」
 後半部分は、殊更馬鹿にした口調である。頭部を一つ震わせて、唾棄する代わりに濁った粘液の塊を床に散らす。
「他にも、死後礼に則って埋葬されなかった者や、洗礼を受ける前に落命した嬰児。彼らは神の祝福を正しく受けられなかった、それはもう憐れな存在です。」
 もし人間形態のままだったなら、この悪魔は髭の中から嬉しげに黄色い歯を見せていることだろう。
「そして最後の条件は、東欧における本来的な吸血鬼・ブリコラカースが誕生する条件でもあるのです。『煉獄炉』をエネルギィ源にした、人造吸血鬼の開発……これ程良く出来た舞台設定はそうそう無いでしょう?」
 ヌルが自身の講義で悦に浸っている間……ピートは吸血巨人との格闘に、キヌは目視での笛の捜索に、美神は精神集中によるダメヂの回復に、横島は霊力充填の為の卑猥な妄想に、それぞれ専念していた。
 ヌルが陶酔状態にあったのは、勿怪の幸いであった。


「……はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
「……………………」
 物見の塔へと至る広い石畳の上、靴音も高らかに二つの影が往く。
「……はあっ、……おっ、おおっ!」
「!」
 後ろの者の声成らぬ声に続き、前の者も遅れて踏鞴(たたら)を踏んだ。

 二人の頭上には、ぱんぱんに張った血袋のような、赤黒い月。
 死斑のようなクレイタァの模様が、恨めしげな笑い顔を形作っている。

 死した月の亡霊を振り払うように、二人は塔を目指して駆け出した。

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