ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(29)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 4/16)

 二メートル半を超える半裸のそいつは、地下室の闇の中に立っている。
 顔よりも優に二周りは太い首筋。バケツ大の頭部を不相応に小さく見せている、堅牢な肩。ガトリング砲を両脇に抱えているのではと錯覚させる程の、震える豪腕。爆ち切れんばかりに肥大化した二枚の大胸筋。八つの塊の一つ一つが別の生き物のように蠢いて見える腹筋。正面からは折り畳まれた翼のようにも見える後背筋。全体重を支え二足歩行を可能にしている、やや短めの太い脚。
 人体という物の一つの到達点に位置するであろうこの完璧な肉の衣は同時に、アメリカン・コミックかハリウッドのアクション映画の世界にしか存在しえないような非現実性がをも持ち合わせている。僅かに粘性の有る保存液で黒光りする肉体に、ギリシャやルネサンスの彫像に見られるような健康的な美の輝きが感じられないのは、歪んだ頭部で鈍い光を放つ二つの瞳の所為だけではなかった。
 そう、こいつは人造吸血鬼。人類文明を壊滅させる為に生み出されたその身体から放たれるのは、ただ血腥い機能美だけであった。

 呆然とした一同の目の前で、そいつはゆらゆらと鈍重な足取りで蛸面悪魔の前に辿り着いた。
「これこそテレサ殿の一大傑作、汎用人造吸血鬼試作型・スックベ01です。ご覧の通り主として戦闘用に開発したものなので若干大きめになってはいますが、同程度の戦闘能力を持つ旧式の人造兵鬼よりは格段に小型化されていますし、さらに自ら判断して複雑な命令をこなす事も可能です。さあスックベ01、やつらを『炉』に近付けるな!」
 蛸頭の一喝を受けた巨人は、低く短く唸って肯定の意を示すと、美神たちに相対した。
「横島くん、早くおキヌちゃんを起こして! ピート、あなたはピエッラを横島くんに預けたら、あのデッカイのを!」
「「……は、はい!」」
 立ち直るのが早いか、美神はヌルを見据えたまま指示を与えると、右に走りながらポケットを弄り始めた。
 その背後で横島は腹の上に頭を置くキヌの両肩を掴み上げると、同時に自らも上体を起こす。
「おキヌちゃん、ほらっ、起きてっ!」
「……ふぁ、あ、うーーん……?」
「、横島さん、この子を頼みます!」
 キヌの肩を揺すっていた横島の腕に空かさず、幼児の身が託された。
 そして勢いもそのまま上着を脱ぎながら巨大な人影に立ち向かうピートの姿を、キヌの半眼が追う。
「……あれ、ここは一体……?」
「説明は後! 美神さん!」
 横島の目が追い駆けるのは、手に符を持ち死角に回り込もうとする美神の背中。
「おキヌちゃんは笛をあのデカいのに使って! 横島くんは適当に皆を支援!」
 振り返らず、直接指示を送る。
「デカいの……あ、はい!」
「なるほど、ネクロマンサーの笛であのデカブツを調伏しようって寸法か! そう云や何時ぞやのゴーレムに似てるもんな、あいつ。」
 そう独りごちる横島の隣で、キヌは肩から下げている臙脂色のハンドバッグに手を掛ける。
「ええと、笛、笛っと……」
 未だ光の残像が残っているのか、キヌは何度も眼を瞬かせてはバッグを漁ろうとする。
 横島はピートと人造吸血鬼の戦いを見守っている。ピートは素早い動きで間合いを切り詰めながら突きや蹴りをお見舞いしているが、相手の分厚い筋肉の鎧を前に効果的な一撃を与える事が出来ないでいる。その相手の方は手数こそ少なく狙いも無茶苦茶だが、時折放たれる重たいパンチは、一発でこれまでピートが見舞った打撃を遥かに凌ぐだろう。その証拠に当て損なったパンチの一撃は、堅固な石畳の上に放射状の鋭い亀裂を走らせたのだ。
「……あれ、バッグが開いてる……ああっ、横島さん!」
「……へ、どうしたんだい?」
 震える手で横島の上着の裾を引くキヌの顔は、吸血鬼化した時よりも青褪めて見えた。
「笛が……笛が無いんですっ!」
「え、ええっ!」
 これには流石の横島も、大いに動揺した。

「……くっ、堅い!」
 後方に飛び退きながら首を捻るピートの額には一滴の汗も滲んでいないし、呼吸にしても全く乱れが無い。しかしその顔に浮かんでいるのは苦渋。表情の「表」と「情」の間に生じたギャップが、彼を見たものに奇妙な違和感を与えていた。
 はっきり云って相手は強くない。パワァは見た通りだが、格闘技術は未熟そのものである。筋肉の動きから簡単に行動パターンが読めるし、攻撃も力任せなパンチばかりで単調だ。防御だってなっちゃいない。隙だらけの構えは打たせ放題であるし、動きも鈍くリカヴァが出来ていない。だから、自分の得意な格闘で十分カタが着けられる、とピートは踏んでいた。
 しかし、相手の耐久力は見た目以上である。幾ら強力な一撃を与えた処でビクともしない。急所らしき部位も数箇所打撃してみたが、一向に怯んだ様子は無い。手応えは有るのに効果が無い。それは彼に焦りを募らせる。
 それに拳を幾度と交える内に、ピートの心にはある疑念が頭を擡(もた)げてきていた。
「おい! そろそろ本気を出したらどうだ!」
「……………………。」
 相手は濁った輝きを纏った視線で見下ろすだけ。
 ピートは白い歯を見せて口元だけで微笑むと、八重歯を赤い舌先で掬った。
「……なら、本気を出させてやる! はっ!」
 彼もまた、鋼の肉体に魅せられた男。瞳に情熱の炎を宿して、再び巨象に挑みかかっていった。

「もうっ、これだから体育会系の熱血くんはっ……さっさとダンピール・フラッシュで決めちゃえば好いのにっ!」
「余所見をするのは教授に失礼ですよ、美神令子!」
 横目に三本の触手をはっきりと捉えていた美神は、事も無げに蜻蛉を切ってそれを回避する。鞭のように打ち下ろす攻撃は横に振って攪乱するのが常套だ。
「ふん、中々やりますね!」
「そりゃどうもっ!」
 石畳の割れる音を背後に聴きながら、美神は猫の様に華麗に着地すると同時に駆け出した。今、彼女の手元に在るのはそこそこ強力な呪符が十数枚と、後ろ手に隠し持った神通棍だけ。地獄炉からエネルギィの供給を受けている悪魔相手には聊か力不足だが、贅沢言っている暇は残念ながら彼女には無い。
 美神は左右に回り込みながら、ヌルとの間合いをじわじわと詰めていっている。既にあと3メートル。
「(何とか呪符でヌルの動きを封じて、更に神通棍でタコ殴りにしてる間に、おキヌちゃんに調伏して貰ったあのデカブツを蛸頭に打突けてやれば、勝ち目が有るかも……。)」
 ネクロマンサーとしてのキヌの実力に絶大な信頼が有って初めて成立する作戦である。
 美神は炉の真横の位置に付いた。ここからなら少し首を傾けただけで、ヌルの姿を眼の端に映したままで、キヌたちの姿も確認出来る筈だ。

「……ええと、笛、笛、笛……ふぇ。」
「……おーい、ネクロマンサーの笛やーい。」
 美神の視線の先では、キヌと横島が地べたに這いつくばっている。

「……って、何やっとるか貴様らーーーっ!!」
 次の瞬間、美神は状況を忘れて絶叫していた。

びゅうううぅぅぅっっっっ!!!

「きゃぁっっ!!」
 眼を開けて居られない程の圧力を正面から感じ、軽い浮遊感を覚えたと思いきや、美神の視界が急速に遠ざかる。反射的に背中を丸めた直後、背面全体に強烈な衝撃が走った。
「っかはっっ!」
 五臓に染み渡る急速な刺激に、肺や胃袋に詰まっていた空気が一度に吐き出される。
 緊張しきった肺が新鮮な空気を要求する程までに落ち着くのには、たっぷり一分は要したろうか。
 自分が壁際に身体を預けている事に気付くのには、もう三十秒必要だった。

「大丈夫ですか、美神さん、横島さん、おキヌちゃ……おっと!」
 部屋の反対側では相変わらず、ピートと筋肉達磨との決闘が続いている。
「美神さん! 平気っスか?!」
 美神の左手、入口付近では右手を掲げて中腰に構えた横島の後ろに隠れるようにして、ピエッラを抱いたキヌの姿が見える。どうやら文珠で咄嗟に防いだようだ。
「だから、余所見をするなと言ったんですよ。全く困った学生ですね。」
 困った処か寧ろ楽しげな、蛸頭教授の声である。
「……誰が、あんたの学生だって?」
 まだ苦しそうに美神は毒吐(どくづ)く。ヌルは一層愉快そうに触手を揺らめかせた。
「困った学生である証拠に、今ワタクシが何をしたのか、理解出来ていないのではないですか、美神令子?」
「…………。」
 今度は沈黙。しかしヌルの触手は一層満足そうに互いに絡み合う。その様は美神に蚯蚓(みみず)の交尾を連想させた。尤もそんな物は一度も観た事は無いが。
「……では、お教えしましょうか。前にお会いした時にワタクシは八本の触手の秘密をお教えしましたよね? 残念ながらあの時はその内の三本目までしかお見せ出来ませんでしたが。」
 蛸頭教授は絡まった触手を一旦解くと、その内の一本を誇らしげに頭上に掲げる。
「これが、その四本目の触手……嵐の触手です。残りの四本の触手の力もお見せ出来ると好いんですがね。」
 そう言うと触手を戻し、再び絡ませる。炉の駆動音に混じって、粘液質の擦れ合う音とくぐもった笑い声が密やかに部屋の空気を汚していった。

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