ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(26)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 3/21)

美神達の目の前には、およそ15メートル四方の熱気を帯びた空間が広がっていた。
壁際には大の大人が三人並んで入れる位の大きさの、半透明な円筒が一面に整列している。
それら容器の台座部分からは大小様々な太さのケイブルが伸びており、部屋中の床と云う床を覆い尽くしている。最終的にそれらは部屋の中央に聳(そび)える巨大な球体の下部に接続されている。
緩やかに段差が付けられた部屋の中央の台座の上に鎮座した金属質の球体には、顔の高さ位の所に丸い覗き窓が付いており、その中では青白い陰火がちろちろと揺れている。部屋中に籠もった熱気よりも、むしろ咽せ返る様な霊気に二人は圧倒された。
「こ……これが、地獄炉……。」
ピートが震える唇で呻くように呟いた。美神は視線を炉に向けたまま、神妙な顔付きで頷く。

「おやおや、お客様方。今宵は皆既月蝕……狼の毛皮を纏った悪霊どもが満月を食らい尽くし、自らの血にその身を染めた月の亡霊が恨めしげに現れる晩です。こんな恐しい夜には、お早くにお休みになられた方が宜しいですよ?」
思い懸けず、前方から慇懃(いんぎん)な嗄(しゃが)れ声が二人に投げ掛けられた。

惧る惧る正面の球体に近付くと、ケイブルの束の向こう側、その正面の一段高い場所にしつらえられたコンソウルの傍らに、たっぷりとした白い貫頭衣を被った白髪の老人が、場違いな程に悠々と座っているのが見えた。瞳を完全に覆い隠す眉毛の片方を心持ち持ち上げる様は、状況が状況ならばさぞ滑稽に映った事だろう。半ば自失する二人の前で、執事のヴィットーリオは硬そうな白鬚を、何処かしら愉快そうに撫で回し始めた。


沈黙は、唐突に破られた。

「……ああああああああああああああああああああ

入口の奥から急速に迫ってくる騒がしい雄叫びに、全員が反射的に開け放たれた扉に注目した。
階段を転がり落ちてくる何かが、巨大な扉越しに見える。。
それは、青い球体だった。
「……あああああああああああ、あうぅ!」
球体は敷居の段差に衝突すると、その形を急速に崩し、漸く運動を停止する。いや、今の姿こそが原形なのだ。
「一寸、何してんのよ、横島くん!」
「……あ、美神さん……。」
美神の問い掛けに応えた元・球体は、仰向けで大の字になっている横島であった。全身を打僕傷と擦過傷だらけにしての、実に壮絶な階段落ちであった。
「だ、大丈夫ですか、横島さん!?」
「……ピートか……てめえ、よくも!」
「へっ?ああっ!」
心底心配そうに駆け付けたピートの襟を、ボロ雑巾のような横島の両手が掴む。
咄嗟の事態に、ピートの上体はあっさりと横島の眼前に引き寄せられた。
「てめえ、オレがいない間によくも、美神さんをこんな所に連れ込みやがって!
オレがあの女の乳と尻と太股をモノにするために、一体どれだけの代償を支払っているのか、まさか知らないとは言わせな、ぐえっっ!!」
「誰の何が、アンタのモンに成ったって、え!?」
美神の右の爪先が、横島の後頭部にこんもり浮かんでいる瘤に、数ミリ程喰い込んだ。
「……す、すびばせん……ほんの冗談です……。」
今の美神はパンツスタイルなので、横島にとっては残念な事にささやかなご褒美すらも期待出来なかった。額にうっすらと青筋を浮かべて冷笑する美神は、横島を見下ろしたまま爪先の動きに軽妙なアクセントを加える。
そんな二人の奇妙な遣り取りの最中、ピートと執事は気不味そうに顔を見合わせた。


「……と、こんな事をしている場合じゃ無かった。 美神さん、おキヌちゃんが大変なんスよ!」
「えっ、おキヌちゃん?!」
横島の口からキヌの名が出たのに呼応するように、美神は彼の頭上から足を外した。
横島は懐から例の超小型カメラを取り出して、美神に手渡す。
「ええ、こいつのフラッシュのお陰でどうにか助かったんスけど……。」
「ああ、あんな事が有ったって云うのに、カメラは無事だったのねっ! でかした!」
「うう、もうちっと弟子の方も心配して下さいって……お、お、おおおっ、……!」
横島は陸に揚がった鮒の様に口をばくばくさせて、美神の背後を凝視する。
美神が後ろを振り返ると、いつの間にか6メートル程先に白いレイスのカーテンを頭の上から羽織ったキヌの姿が在った。心無しか夢観るような幻惑的な表情の所為か、美神の眼には純白のカーテンが一瞬ウェディングドレスに見えた。
「美神さん。」
どこか空虚なキヌの呼び掛けの声に、美神は反射的にレイスに上半分が隠れたキヌの顔を覗き込んでしまった。
キヌの双眸が妖しげに輝いた、と思った瞬間、美神の心臓は大きく高鳴った。
キヌはヴァージンロードを歩く花嫁さながらに、美神に向かってゆっくりとした足取りで歩き始めた。彼女が一歩、また一歩と近付いてくる度に、美神の心拍数は徐々に、しかし確実に上昇を続けている。
「美神さん。」
返事を待たず、キヌは再度呼び掛けてくる。しかし今の美神には返事するどころか、満足に声を発する事すらも叶わなかった。二人の距離はおよそ3メートル。まるで激しい運動をした直後のように、美神の額は汗に塗(まみ)れ、喉はカラカラに喝き、心臓は急ピッチで全身に血液を送り続けている。
「美神さん。」
また一歩、近付いてきた。それまで限界と思われてきた心拍数はその度に、新記録を更新していく。
苦しい。痛い。もう立っても居られない。その筈なのに。
「美神さん。」
もうキヌは、息がかかりそうな距離にまで来てしまっている。自分に向けてゆっくりと伸びてくるキヌの両手を、美神は本能的に避けようとしたが、どうした訳か彼女の身体はピクリとも動こうとしない。美神の後頭部に廻された左手と、背中に廻された右手が予想以上の力でキヌの胸元へと引き寄せられる。キヌは大きく頭を振り被ると、露わになった美神の白い首筋に、肥大した犬歯を付き立てた。

妖しい光を纏ったキヌの瞳の前に突如、肉付きの良い男の掌が出現した。
「ダンピール・フラーーーッシュ!!」
「んぁあっ!」
気合いと共に掌の中心から発せられた神聖な輝きに眼を焼かれたキヌは、弾かれたようにのけぞり、そのまま地面に倒れ込もうとする。霧状から瞬時に実体化したピートが、すんでの処で弛緩しきったキヌの身体を受け止める。彼女は至近距離からの光術をまともに食らって、軽いショック状態に陥っていた。
「……真の吸血鬼の血を受け継ぐ僕には、吸血鬼化した人間の邪眼など効かない!」
やや表情を強張らせてそう叫ぶと、ピートは抱き上げたキヌの首筋に小さな吸血の跡を認め、瞬時に事情を把握する。そして詫びるように目を伏せると、辛うじて身体の自由を取り戻しつつある美神の腕にキヌの身体を預けた。
「そして邪眼の超視力は、不可視の存在を見破る事をも可能にする!」
ピートは眼を見開いて、中腰のまま「何も無い」空間を注意深く見渡す。果たして「それ」は、彼の真上で何にも知らないような顔をしてふわふわと漂っていた。
「……そこか!」
ピートは腰を落とした格好から、そのまま垂直に1メートル半ほどジャンプした。
同時に右手に再び聖なる輝きを宿らせる。身体を大きく伸ばしながら光の粒子を纏った右腕を「それ」に繰り出すと、何も無かった筈の空間に突如小さな脚が出現した。霧状化した身体に聖光によって干渉し、部分的に実体化させたのだ。
「貰った!」
ピートはそのまま右手を伸ばし、か弱い右脚をしっかりと掴んだ。その途端「それ」は急速に実体化し始めた。恐らく集中力の限界だったのだろう。「それ」を腕の中に抱え込んで一つ宙返りを打つと、ピートは跳ぶ前と寸分違わぬ姿勢で音も静かにふんわりと着地した。
青年の腕の中の「それ」……雪のように真っ白なナイティに身を包んだピエッラは、悔しそうな表情の上に半ベソをぶら下げている。威嚇の為に下唇を噛み締めようとするが、時々喉の奥からしゃくり上げてくる息の所為で、唇は奇妙な形に歪むばかりだ。
「……ふふっ。」
そんな幼子を見下ろすピートの微笑には、最早殺気は微塵も見られなかった。いや、彼は始めから殺気だってなどは居なかったのだ。今は只、ピエッラの子供っぽい仕草に釣られて、暖かな笑いが込み上げてくる。
その笑顔に釣られてか、ピエッラは戸惑い混じりの曖昧な笑みを浮かべる。
ピートは小さく深呼吸をすると、右手に握られたままの幼児の右足を持ち上げて、その踝(くるぶし)に優しく八重歯を突き立てた。
幼子はそのままゆっくりと、涙がちの大きな瞳を閉じ、眠りに落ちた。

こつ。
美神に凭れ掛かるようにしていたキヌの口から、一組の犬歯が抜け落ちた。

ぷっっ…………こつ。
亀の様に俯せている横島の眼前に、白い小片が一つ飛び込んできた。
よく見るとそれは、異様に鋭く伸びた、人間の歯だった。
横島は、その歯が描いていた放物線を目で追ってみる。その目線の先に在ったのは……執事の老人。

「ふっふふふっ……ふははははははっ、はーーっはっはっはっ!!」
ヴィットーリオは大きく被りを振りながら満足げに高笑いし始めた。

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