ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(25)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 3/14)

石造りの下り螺旋階段は、身の細い人間ならば二人並んで歩ける程の余裕が有る。しかし美神は大きめのストライドを描きながら堂々と階段を征服していき、憂い顔のピートは三歩後ろから慌てるように付いていく、といった具合である。
やや薄暗い照明の下ではあるが、埃っぽさの無いこの空間は細目(こまめ)に掃除がなされており、最近も、しかも頻繁に人間の出入りが有る事を物語っている。にも関わらず今二人の足音以外の音が存在しないという事実は、何処かしら非現実的な違和感を二人に与える事になった。


こつ、こつ、こつ、

「美神さん。こんな時に何ですけど、一寸いいですか?」
「別にいいけど、なぁに?」

背後からの遠慮がちなピートの発言に、美神は振り向きもせずに返事をする。

「唐突な話題で申し訳無いんですけど……前に僕や横島さんがGS資格試験を受けた時……そういえば美神さんは居ませんでしたよね?」

こつっ。
美神の左の踝(くるぶし)が不自然にも一瞬、鋭く内側に曲がった。

「……ええ、先生と一緒に……メドーサに操られた白龍会の調査……をしてたのよね。そうそう、そうよ。」

立ち止まった美神はやはり振り返らず、こくこくと相槌を打ちながらも歩を再開した。
こつ、こつ、こつ、

やや間が在ったものの、美神の反応に一応の納得をしたのか、ピートは言葉を継ぐ。
「あの頃の僕は、精神的にも肉体的にも薄弱でした。ブラドー島のみんなの期待を一身に背負い込むプレッシャアに押し潰されそうになっていたし、人間の受験者を相手にした二次予戦では、基礎的な身体能力では圧倒的に有利だった筈なのに思いの外、苦戦が続きました。」
「へ、へーっ。そーなの。」
「それでも何とか勝ち上がり、3回戦にまで進みましたが、正直これ以上勝てる気がしませんでした。しかも相手は白龍会の伊達雪之丞です。」
「……それにしても、彼との出会いもなかなか衝撃的だわね、今考えると。」
「はい。その時の僕は気持ちの上でも、能力の上でも彼に完全に負けていました。唐巣先生が調査中に大怪我を負って生死の境を彷っていると聞かされた時、白龍会への激しい怒りが腹の底から沸き上がりました。僕は誓いました。絶対、先生の敵をこの手で取るんだと。まさに闘うのに理想的な精神状態だったとも言えます。しかし、あくまで冷静な求道者である雪之丞にとって、気がはやるだけの僕は絶好のカモだったんです。案の定、あっと言う間に僕は雪之丞に追い詰められてしまいました。」

こつ、こつ、こつ、
話が進むに従って、より饒舌に、より情熱的に成っていくピートに反して、美神の方は話に対する興味を急速に失っていった。
実際その時は彼女自身、架空の受験生ミカ・レイに身をやつして彼の闘いぶりの一部始終を見守っていたのだから、まあ仕方が無い。
美神は白け切った顔を見られないスレスレの角度に首を回して、ピートの顔を伺い見る。

「で、それから?」
……予想通りの若々しい気迫に満ちた瞳の輝きを目撃してしまった美神には、彼の話を促す事しか出来無かった。
「その時、ある人の言葉が急に頭の中に甦ってきました。『先生に教わった事だけが貴方の力じゃ無い、それが何なのかよく考えてみなさい』って。」

こつっっ!
ほんの一瞬だが美神の、今度は右の踝が外側に跳ねた。
「そ、それからどうなったのかしら?」
絞り出すように応えた美神は、左胸を右手で押さえながらも、足元に気遣うように下方に視線を配った。
決して、今の自分の顔をこの青年に見せる訳にはいかない。
……こつ、こつ、こつ、

幸い自分の話に夢中なピートは、美神の不審な挙動には気付かぬ様子で、言葉を続ける。
「そこで閃いたんです。まさに電撃が体中を駆け巡ったみたいでした。僕は全身を霧状に変化させると素早く雪之丞の背後を取り、彼の振り向く間も無く実体化、そして先生直伝の浄化の光をお見舞いしたんです。……つまり、僕の身体の中に流れる吸血鬼の血の存在を完全に認めて、正しい心の下にその魔力を使う事が大切なのだと云う真実に気付いたんです! ……それ以来、僕は単なるヴァンパイアハーフから、強大な悪の力に立ち向かう能力を持ったダンピールとして生まれ替わったのです。」
「そ、それは良かったわね。」
もはやピートの話のテンションに付いていく自信を完全に喪失した美神には、乾いた唇でそう呟く事が精一杯だった。

こつ、こつ、こつ、

足音ばかりの沈黙が、滔々と続く。
美神は漸く自身を取り戻すと、背後の青年を肩口からそっと覗き見る。
そこには先の生気に満ちた熱血漢から一転して、抑え難き苦心に顔を歪ませる青年の姿が在った。内面の苦渋が滲み出してきたかのような汗の露が、顔中にうっすらと浮かんでいる。
「……どうしたのよ、また暗い顔になって?」
「しかし、それは表面的な成長に過ぎなかった。今思うとあんな親父の血でも甘んじて受け入れられたのは、正しい心を持つべきもう一つの血……人間の母の血に対する誇りがあったからです。でも、あの女(ひと)は……僕の姿の中に親父の面影を見付けて、その面影に色目を使ってみせた! あんなバカ親父に自ら進んで媚びるような、そんな女性だった!」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ、ピート!」
美神はその身を翻(ひるがえ)し、やや高い位置に居るピートと真っ直に相対した。
不謹慎であるとは十分に理解しているものの、美神は苦悩するピートの姿を素直に、美しいと思った。情熱的な彼が正の生命力から湧き上がる動的な『麗かさ』を持つならば、今の彼には負の生命力から導かれた静的な『美しさ』が在る。
刃物の如き鋭さを具えた青白い怒りの炎は、彼の充血した双眸で音も無く燃えていた。
大きめの八重歯も露わに、ピートの言葉はしだいに冷たく、しかし激しい熱を帯びてゆく。
「……人間の事を家畜同然にしか見ていない、あんな人でなしに魅せられるなんて、あの女は人間としての尊厳を完全に放棄している! しかも彼女は地獄炉なんて物を作って何か邪悪な事を企んでいる! 最早彼女には神に祝福される資格なんて有りません! そして、そんな、そんな彼女の血を引く僕だって、」

パシーーーーーーーン!!

ドサッ……
「あ……。」

力任せに振り仰いだ右手を静かに腰に当てると、美神は足元の青年の上に鋭い視線を置いた。
ピートは虚空に目を奪われたまま、ただ呆然と尻餅を撞いている。
「貴方の処の神様は、そんなに了見が狭いのかしら? それに祝福される資格云々って、それこそ貴方が勝手に決めていい事なの? それこそ、神様に任せておけば好いじゃないのよ。」
「…………。」

美神は小さく溜め息を吐くと、空いた左手で頭髪を後方に軽く梳いた。
瞬間、初夏の若草の匂いがピートの鼻腔を擽った。
「……なーんて、偉そうに言う私だってね」
そして彼女は当たり前の事であるかの様に、ごく自然に言葉を紡ぎ始めた。

「、パパの事をすっごく憎んでた時があったの。それまでこの世の中に存在していないと思い込んでいた筈のパパの顔をはじめて見たのが、小学校五年生の時……顔って云っても、あの骸骨みたいなお面を付けたまんまだったけど。ママの持病が悪化して、静養の為に田舎の病院に入院したのが切っ掛けで、暫く日本に落ち着く事にしたらしいの。そして、あれは忘れもしない小学校六年生の夏休み。当然パパの大学も休みに入るっていうんで、病院から一時間程の所にある鄙びた村の民宿で夏休みを過ごす事になった。だけどこの村はその道ではかなり有名な『虫の宝庫』で、パパったらこれ幸いと娘を連れて昆虫採集に熱中するのよ! しかも半日も経たない内に新種の蝶を発見したとかで、重篤な妻と多感な娘を置いてきぼりにして東京の研究室へ帰るだなんて、もう全く信じられない! 私は、聞き分けの悪い子供に手を焼く父の、あの死神のようなお面に向かって叫んでやったわ、『あんたこそ、何もわかってない!』って。その時のパパの、心底遣り切れなさそうに伏せられた目と云ったら……。」
「…………。」

言葉穏やかな女性の顔にはしかし、その頃の少女の面影がぼんやりと宿っている。
精一杯怒って、精一杯憎んで、精一杯強がって、精一杯涙堪えた、あの時。

「でもね、あれから時間が経って、色々な事が見えてきて漸く、そんなパパを許せるようになってきたの。勿論、あの人がこれ迄に私にしてきた仕打ちの数々は、絶対に許さない。けど今はもう、あの時程はパパの事を嫌いには成れないのよね。結局何にも分かってなかったのは私の方、だったのかもしれないし。そーね、これでおあいこ、プラマイゼロにしといたげるわ。」
「…………。」

女性の顔には一沫の懐しさと、多分の照れ臭さが溢れている。
決して自らを貶めず、その時その時の自分に絶対的な自信を持つ事が出来るのが、殺那的な人生に身を置くこの女性の強さなのだろう、とピートは見上げながら思った。

「幸い私の場合は両親が生きていて、顔を合わせることも出来るから、そんな風に割り切って考えられるのかもしれない。でもねピート、折角貴方も本物のお母様に巡り会えたんだから、これを機会にもっとお母様の事を知らなくちゃダメよ。結論を出すにしては、貴方は余りにお母様の事を知らな過ぎる。勿論、あの親父さんの事もね。落ち込むなり文句を言うなりするのは、それからでも遅くはないんじゃない?」
「……美神さん。」

「これから、それを見極めに行くの。 ……ほら立って、男の子でしょ。そんな頼り無くしてるんじゃあ、またエミに付け込まれるわよ?」
「……それも、そうですね。」
差し出された白い右手が、しっかりと握り返してきた逞しい右手を力強く引っ張り上げる。
すっかり立ち上がった青年は軽くズボンの埃を払うと、また女性の三歩後方を歩き始める。
迷いの無い、しっかりとした足取りで。

こつ、こつ、こつ、


暫くすると、下り階段は終点を迎え、巨大な木製の扉へと行き当たった。
3メートルの高さを持つ黒塗りの分厚い扉を押し開けようとすると、呆気無い程楽々と開くようだ。
二人は目線で頷き合うと、そのまま扉の中へと足を踏み入れた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa