ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(85)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(01/ 2/21)

「―――そういえば神父。ピート君、もうすぐ退院なんですよね?」
 しばしの間、台所を支配した重苦しい沈黙の後。
 それを破るように先に口を開いたのは、西条の方だった。
 先に満ちた沈黙を意識して、わざと明るい声を出そうとしたのだろう。言葉の出だしは、ほんの少し上ずってしまっていた。
「ああ、明日なんだ。午前中の予定だよ」
 ほんの少し上ずってしまった声をごまかすように、コーヒーを口に含んだ西条に対し、相変わらず振り向かないままそれに答えた唐巣の声は、ごく自然な明るさを持っていた。ピートがやっと退院する事が、純粋に嬉しいのだろう。西条の声で我に返ったのか、止まっていた手も何時の間にか動き出して、じゃがいもの皮むきを続けている。
「明日……ですか」
「そう。十時頃に迎えに来てくれってね。病院の医者はまだ渋ってたけど、本人はもう元気だって言い張っているしね。……それに、ほら。明日は終業式だろう?」
「……あ」
 そう言われて、そう言えばもうそんな日だったかと、台所の壁にかけられているカレンダーを見る。
 確かに、ピートが誘拐されたのが梅雨明け頃だったのだから、十数日間も誘拐されて、その後も、やれ検査だ診察だ、と結局一週間以上入院させられているのだから、もうそんな日にもなろうかと言う頃だ。
 成程。唐巣が今作っている料理は、明日、やっと家に帰って来られる彼を、迎えるためのものなのだろう。
「でも、十時に迎えに行ったんじゃあ、終業式には出られませんね」
「ああ。ピート君も、終業式に出られないのは残念がってたなあ。」
「……そう言えば、期末テストだとか、一学期の成績は大丈夫なんですか?」
「事情が事情だからね。誘拐されていた間の欠席は無かった事にして、テストもやらせてくれるそうだ。三週間以上学校から離れていたから、いきなり受けて大丈夫かって、少し心配だけどね」
「ピート君なら大丈夫ですよ。転入以来、ずっと学年首位なんでしょう?」
 感心を込めてそう言うと、唐巣は振り向き、照れたように笑いながら頷いた。
「君まで知ってたか……どこで聞いたんだい?」
「横島君やタイガーが、テストの度に令子ちゃんの事務所で騒いでますからね。聞いてますよ。東都大学の受験まで薦められたそうじゃありませんか」
「ああ。私は構わないと思うんだけど、学費だとか、変に遠慮してるみたいでね。まあ、高校を出たらすぐGメンに入りたいって言うのもあるだろうけど―――そもそも高校に入る時も、遠慮ばかりしてたんだよ」
 むきかけのじゃがいもと包丁を、器用に片手でまとめて持ち、空いた方の手でぽりぽりと頬を掻きながら苦笑する。
 日本語に不自由しないとは言え、見た目が明らかに外国人で、しかも正体がバンパイア・ハーフとあっては、いきなり見ず知らずの生徒ばかりの学校に通うのは大変だろう―――と、唐巣は最初から、ピートを横島達が通う高校に転入させたいと思っていたのだが、そこでまずピートは、そこが私立だと言うのを理由に遠慮した。そして、そんな遠慮は必要無い、と言う事を納得させ、学校が決まると、次は制服の事で遠慮した。新品は要らない、誰かの古着で構わないから、とピートは言ったが、唐巣は、どうせなら新品を買ってやりたかった。
「私立だとか制服だとか―――いやに遠慮していてね。ピート君はもう、ほとんど私の息子みたいなものなんだから、遠慮しなくて良いのにね」
「……」
 唐巣の言葉に、そうですね、と頷きかけて―――西条は口篭もった。
 あの日、結界の中で、加奈江がエミに向けて―――そして、タイガーの精神波を利用して、自分達に向けても言った言葉が、頭の中に蘇る。

 ―――唐巣神父は、二十代の頃にピートと知り合った
 ―――昔は、二人は年の離れた兄弟だとか、友人だとか言ったものだったかも知れないけれど、今はまるで親子ではないか
 ―――神父がピートに持っている優しさは、友人同士のものから、親が子供に対して抱くようなものになっているんじゃないか―――

 その変化はピートを傷つけるものだ―――と、加奈江は言っていた。
 ……唐巣も、それは聞いていた。聞いた上で、あえて先程の言葉を言ったのだろう。
 ピートは自分の息子のようなものだ―――と。
「……」
 ピート本人がここにいないとは言え、加奈江のあの言葉を、唐巣も聞いていた筈なのに。
 それでもあえて「息子」と言う言葉を口にした唐巣の意図が掴めず、西条は黙る。
 頷きかけたまま黙った西条に対し、唐巣は一旦背を向けると、ジャガイモの皮むきを再開しながら言った。
「私は思うんだけどね―――ピート君にはもっと、楽に生きられる方法が、幾らでもある筈なんだ」
「神父……?」
「……無理して、人間に付き合う必要は無いのにね。彼はもっと、楽に生きられる方法があるんだよ」

 ―――そう。
 別に、寿命の短い人間の中で共存する必要など無い。
 島に帰って生きれば、人間よりは長く付き合える仲間がいるし、父親のブラドーのように、好き勝手人間の血を吸って、強引に連れ合いにする事だって出来る。彼のようなルックスならば、それこそ餌は向こうからやって来てくれるだろう。
 取っ替え引っ換え、その時に気が向いた相手を選んで、奔放に生きる―――そんな選択肢もあるのだ。
 加奈江がやろうとしていた事ではないが、それこそ全人類の血を吸うか、自分の血に感染させて、世界中に仲間を作ってしまう―――世界を自分の好きなように作り変えるという事だって、その気になれば出来てしまうかも知れないのに―――
 自分に背負わせられた『永遠』の苦しみを知っているからか、ピートはそれを選ばない。自分と同じものを作り、自分と同じ重責を背負わせる事を、良しとしない。
 アシュタロスのように、いっそ世界を自分の望むものに作り変えてやろうと言うような思いきりの強さも無い。
 苦しみ傷つきもがきながら、それでも人といるのが幸せだと―――人間と共に在りたいと、彼は穏やかにそう望むばかりで―――
 ……他に、もっと楽な道があるだろうに、彼は―――

「私も……変わってしまうからね。正直、確かに今のピート君には、友達とか言うよりも、親に近いものを抱いていると思う」
 振り向かないまま話を続ける唐巣の言葉に―――西条も、そうだ、と思う。
 実際、ピートと唐巣の関係を、師弟以外にどう表現するかと聞かれたら、親子と言う他ないだろう。
 唐巣も、それは自覚している。
 時間の流れは自分に穏やかさと見聞の広さを与え、若かりし日の破天荒なまでの勢いの良さを奪っていった。
 もう昔のように、お互い、他愛の無い事で大声で笑い合うような事は、唐巣には出来ない。
 今の唐巣はピートと一緒に笑うよりも、若い横島達に混ざって笑っているピートを、微笑ましげに見守る事の方が多かった。
 その変化は、確かにピートを苦しめているのかも知れない。
 転入の日、何かの記念になれば、と写真を撮ろうとした時に、ピートが少し嫌がったあれは―――今考えてみればあれは遠慮ではなく、唐巣との間に広がった時間の流れの溝を、兄弟から親子のようになってしまった姿を、形にして見る事を嫌がっていたのかも知れない。
 ……そういう形で、知らない内に、ピートを傷つけていたのかも知れない。
 だが―――
「……だからって、ピート君を邪険にするなんて事も出来ないしねえ」
 それはそうだ。
 それはそうだと、西条も思う。

 優しくしてやりたい
 仲良くしてやりたい
 いつか別れてしまうなら
 いつか置き去りにしてしまうなら
 せめて、共に在る時だけでも優しくしてやれたら―――
 思い出になってしまうなら、せめて、暖かなものを―――

 ……それすらも、いつかは彼を苦しめるものになってしまうかも知れない―――けれど

「……それでもピート君は、私達と一緒に生きる事を選んでくれた。……なら、私はその気持ちを―――彼を、大事にしてあげたい―――」
 そう言って振り向いた唐巣の顔に浮かんでいた表情は―――限りなく苦笑に近い、微笑と言えば良いのか。
 少し困ったような、悩んでいるような目をしながらも―――その奥にある光は、どこまでも優しく暖かなものだった。
 明日、彼を迎えるための料理を作りながら、そんな微笑を見せる唐巣に、西条も、笑みを浮かべて返す。



 これまで、彼に関わってきた沢山の人間達のように―――自分達もきっと、これから沢山のことで彼を傷つける
 それでも―――その苦しみをも超える素晴らしいものを得られるのだと、彼が、自分達と共に在る事を選んだのならば

 共に、在りたい
 ……共にいられるところまで、ずっと―――

           ……自分達に出来る限り、ずっと―――

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