ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(83)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(01/ 2/20)

「―――永遠、か」

「え?」
 Gメン支部での仕事を終え、令子の事務所に引き上げてきた後の事。
 ひのめにお乳をあげながら美智恵がふと呟いた言葉に、窓の外を見ていた令子がふと反応する。
「なあにママ。突然―――」
 そう尋ねながら振り向いた令子の顔には、何となく嫌そうな色が浮かんでいる。つい先程まで、その『永遠』を求めて暴走した女の書類を読んでいたのだ。いい加減、聞くのもイヤと言う気分になっていても無理は無い。そんな令子に苦笑すると、美智恵は乳房に吸い付いているひのめの頭を支え直した。まだ幼いもう一人の娘は、彼女の頭ほどもある大きな乳房に顔を寄せ、無心に母乳を飲んでいる。そんなひのめと、窓にもたれている令子を見て微笑むと、美智恵は静かに言った。
「こんな事件の後で不謹慎かも知れないけれど、ちょっとね。『永遠』を欲しくなるのって、こんな時なのかしら、って」
 その言葉に、窓際に佇んでいた令子の表情が強張る。
 確かに不謹慎だ。オカルトGメンの隊長で、仕事に誇りを持ち冷静な美智恵が、よりによってあんな事件を担当した後にこんな事を言うなど。しかも美智恵は事件の被害者のピートと面識があるのだ。なのに、どうして、と言いかけた令子は、自分を見つめる母の瞳に浮かぶものに気づいて口を噤んだ。不謹慎さを自嘲してか、苦笑めいた表情を見せる母の瞳に加奈江のような狂おしい激情は無い。ただそこに見られたのは、自分達に対する穏やかな愛情だった。
「こうしていると思うのよ。このまま時間が停まってしまえば良い、なんてね」
 美智恵が腰掛けているソファとはほぼ真正面になる窓の窓際に立つ令子を見つめる彼女の目が―――ふと、遠くなる。夕焼けを迎え、赤く染まり始めた空の色を背中から受けている令子の姿は、逆光のせいか輪郭だけが白くはっきりと浮き上がって見えた。その、輪郭だけが目に焼き付く令子の姿に、五年前の彼女の面影が映り込む。
 短かった髪。わざとスカートを長くしていたセーラー服。年相応にスタイルは良かったが、まだまだ子供の細さを残していた体格。
 そして、一度目を伏せ、映り込んでいた面影を記憶に仕舞い込んでから再び見た令子の姿は、いつもの二十歳の令子だった。
 長く伸びた髪。化粧をしているせいか、随分と大人っぽくなったように見える顔。あの頃はまだ細さが勝っていた体も成長し、バスタオルを巻いているのとほとんど露出度が変わらないようなボディコンを立派に着こなせるまでになっている。
 そんな二十歳の娘の姿を見る事など、美智恵には出来なかったかも知れないのだ。そして、今腕に抱いているもう一人の娘を産む事も。
「何だか夢みたいで、このまま永遠にこうしていたい―――なんて、時々思ってたのよ」
「思っ「てた」……?」
 微妙に過去形のニュアンスで言われた言葉に、令子が首を傾げる。そんな令子に微笑むと、美智恵は腕の中で母乳を飲み続けているひのめの体を抱き直して言った。
「今回の事で私も永遠っていうものをちょっと考えてみて、わかったの。私も、本当の永遠を知らずにそう願っていただけ―――多分、加奈江もそうだったんだと思うけど、私が本当に欲しかったのは、単なる時間なのよ。貴方達と一緒にいられる時間を、出来る限り長く」
「……それって要するに、「長生きしたい」ってこと?」
「そう言われるとなんか身も蓋も無い気がするんだけど……まあ、そうね」
 単純と言えばあまりに単純な令子の言い方に苦笑するが、まあ核心はついている。
「確かに永遠を手に入れたら、今の時間がずーっと繰り返して、一応はそれもまあ幸せなのかも知れないけど、それじゃあ貴方やひのめがどう成長してどう変わっていくのかが見られなくなってしまうもの。私にとって、それは幸福じゃないわ。ただ、長い時間が欲しかったのよ。加奈江も少しは気づいてたんじゃないかと思うけど―――彼女は、本当に自分が求めているのが何なのか気づく前に、走ってしまったんでしょうね」
 加奈江は追い詰められていたのだ。
 幸せと思っていた全てを一夜にして失い、しかも、それらが実は欺瞞と虚偽で成り立っていた代物だったと言う事を知らされて、この世の全ては虚しいものと思い友人も作らず自分の殻に閉じ篭りながら、彼女は同時にその殻を破る事を望んでいたのだろう。
 ここから出たい。でも怖い。外に出て、手に入れたものがまた嘘だったら
 出たいのか、出たくないのか
 閉じ篭りたいのか、殻を破って飛びたいのか
 相反する思いを抱いて揺れながら、今は静かに閉じ篭る事を選んでいた彼女。もしかして、そのままそっとしておかれていたら、流れる時間が彼女を癒し、いつか自然に殻を破れたかも知れない。
 しかし。
 殻の中、簡単には癒されない傷に喘ぎ、虚偽を恐れて孤独を望む一方で、殻を破る事を望んでいた彼女が偶然知った、確かな実体を伴ったピートと言う『永遠』。

 永遠
 変わらないもの
 嘘ではなく虚無でもない、ずっとそこに在るもの―――

 目先に現れたそれに彼女は、本当の『永遠』とは何か、自分が本当に求めているものは何か、など考えもせずに飛びついたのだ。

「……彼女がピート君を知るのには、もう少し時間が必要だったんでしょうね。そうしたら―――」
 加奈江に、もう少しの余裕があったなら。彼女が、もう少し時間を経てからピートの存在を知ったなら、こんな事件は起こらなかったかも知れない。
「どーだか。あれだけ暴走しまくったのよ。きっと同じことやるに決まってるわ」
 短気な性分故か、それとも、令子自身まだ若いので時間が人を変える事に実感を感じていないのか。きっぱりと言い捨てる令子に美智恵はまた苦笑する。しかし、実感が有ろうが無かろうが、時間は確実に人を変えていくのだ。その変わるものは性格だったり外見だったり考え方だったりと様々だろう。その速度は個人差がある事だろうし、特に加奈江のような場合は一年二年で変わるものではないだろうが、ゆっくりと、確実に、人はみんな変わっていく。場合によってそれは、変えていってくれる、と言えるのかもしれない。
「何にせよ、加奈江には多分、時間が必要だったのよ。一晩にして何もかもを夢と崩された現実を、受け入れるだけの時間が」
 心を癒すために、人が出来ることの全てをやり尽くした後、それでもなお引きずり続けなければならない傷を、最後に癒すのは―――
「何か大変な事になった時、人にはそれを受け入れるための、それで負ったものを乗り越えていくための時間が必要よ……貴方もそうだったでしょう?」
 意味ありげに尋ねる美智恵が何を示して言ったのか、察したのだろう。
 令子は口篭もると拗ねたように美智恵を軽く睨み、そのままぷいと背を向けてしまう。少し意地悪な言葉だったかもしれない。
 しかし、五年前に一度、美智恵が死んだとして姿を消した時、令子も必要とした筈だ。母の死を受け入れ、乗り越えていくだけの時間を。
 しかし、彼女にそうさせた当人の自分がそれを言うのは、さすがに意地が悪すぎたかも知れない。背を向けてしまった令子に、美智恵が反省して声をかけようとした時。令子は振り向くと、美智恵がひのめを抱いて座っているソファに近づき、屈み込んで、ひのめが吸い付いているのとは反対側の胸に頭を寄せた。
「令子?」
「……」
 さすがに驚いて呼びかけると、令子は美智恵の胸に顔を預けたまま、ちらっと上目遣いに彼女を見た。いつもは強気な光を放つ彼女の瞳から―――母親にだけ放たれる、幼い頃の感情の欠片。意地悪な問いかけで、五年前に感じ、乗り越えた筈のものが、ぶり返してしまったのだろうか。ちらりと向けた眼差しでそれを訴え、すりすりと胸に甘えてくる令子に美智恵は呆れたような―――それでも、優しい甘さを含んだ声で言った。
「私がいなくても一人で立ち上がれるように、って言ってたのにね?」
「……今はママ、いるじゃないの」
「……仕方ない子ね」
 そう言って微笑むと美智恵は、今だけだから、とばかりに顔を摺り寄せてくる令子の頭を、隣でもう一方の乳房を吸う妹と同じように抱き締めた。どうやら令子にも、五年前の事を完全に払拭するにはもう少し時間がいるらしい。昔の自分なら、令子を強くするためにもっと厳しくないと―――と考えたかも知れないが、時間を経て丸くなったせいか、今は、必ずしもそうは考えない。昔のような、いつ死ぬかわからない立場ではなく、余程の事が無い限り、いつもそばにいてやれる立場になったからだろうか。そばにいてやれるからこそ、こうして甘やかしてやれる自分がいる。自分もやはり、変わっているのだろう。しかし、普段はその変化を自覚する事などない。それは、ゆっくりしているから―――みんなが同じ時の流れの上に経っているからこそ、気づかれない方が多いかも知れない変化であり、それでも確実に変化しているからこそ、『永遠』を背負わせられた者から見れば、余計に苦しいのかも知れない。
 そう思った美智恵の脳裏に、いつも愛想の良い「彼」の姿が浮かんだ。
 加奈江は彼の事を、時間の流れと言う川の中、流れに乗る事を許されない岩の柱だと言った。そして、時の流れと共に移り変わる彼以外の存在は流れに乗る小石であり、それは、岩の柱にぶち当たり、傷つける存在だ。傷つけられた岩の柱は、いつかはボロボロになり砕け散ってしまう―――と。そして、それに対してエミは、流れの中でこそ岩は磨かれるのだ、と言った。

 流れの中で砕け散り、ずたずたに傷つきながら奈落に落ちて、それでも生き続けねばならないと、永遠の闇の中、傷だらけでもがき苦しむのか
 流れに磨かれ、なにものにも負けない強い意思の光を宿し、確固たる自分を維持して生きていける存在となるか

 これから彼が歩む先がどちらになるか、今はわからない。
 それでも―――自分達がいなくなってしまっても、全てが失われるわけではない。
(大丈夫―――私達がいなくなってしまっても、まだ、この子達が―――)
 腕の中に抱き締めた、年の離れた二人の娘を考えて思う。
 そして、その先も。
(大丈夫。生きていける―――きっと)
 目を閉じて、娘達の未来を思いながら。
 美智恵は祈るように、彼の未来をも思っていた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa