ザ・グレート・展開予測ショー

月ニ吼エル(17)〜前編


投稿者名:四季
投稿日時:(01/ 2/18)


 いきなり上体を起こしたシロの様子に横島は面食らった。
 手の中では未だに文珠が輝きを放っている。
 それが効果を表した事に安堵のため息を漏らしつつ、横島はシロを見詰めた。
 小さな肩ががたがたと震えている。先程自ら刻み付けた朱の筋が、痛々しかった。
「シロ、俺だ、解るか?」
 なるべく優しく話し掛けたつもりだったが、シロはただ頭を振るだけだった。
 解らないと言うのではない。もっと漠然とした、何かに対する否定。
 ベッドの脇に立つ横島を見上げる。
 けれど、視線を合わせるでもなく、シロのそれは横島の顔の上を彷徨う。
 横島は、まるで自分が頼りない存在であるような錯覚を覚えた。
 まるで?
 そのものじゃないか。自分がシロに出来た事がどれほどあったと言うのか。
「もう大丈夫だぞ、きっちり『解呪』したからな」
 それでも安心させてやりたかった。労わってやりたかったから、横島は言った。そうする為になんと言ったら良いのかまるで解らなかったので、そんな事を言った。
 小さな違和感がある。
 なんだろう。何時ものシロとは違う。
「病気だと思ってたらさ、呪いだったって」
 横島の隣にはタマモが立っていた。
 いつものようにどこか面倒くさそうな言葉。けれど、シロを見詰める視線には温度があった。
 シロはタマモの目を一瞬見詰めたが、その視線は落ち着きなく漂った後、横島の元へ戻る。
 なんとなく、タマモは迷子の子供のようだと思った。
「どうしたのよ、アンタらしくないわねえ」
 美神が苦笑する。
 いつものシロだったら、速攻で横島に飛び付いている場面だ。
 けれどシロは美神と目が合った瞬間に、びくっと肩を震わせて、目を逸らしてしまった。
 まるで自分が酷く悪い事をしてしまったような気になって、美神はあたりを見回した。
 誰も疑問に答えてはくれない。
「もしかして、まだ、調子悪いの?」
 おキヌが心配そうにシロの顔を覗き込む。
 シロは一瞬口を開いたが、何も言わないまま黙り込んでしまった。
 熱を測ろうとおキヌが伸ばした手を、シロはおろおろとした眼差しで見詰めた。
 思わず手を伸ばすのを止めてしまいそうになったが、おキヌは微笑んでシロの額に掌を当てた。
「うーん、熱は無いみたいですけど……」
 小さく震えているシロに困ったような笑みを浮かべて、横島を振り仰ぐ。
「どうしたんだ?」
 横島の再度の問い掛けにも答えず、シロは時折口を開きかけては止めてしまう。
 何かを必死で考え込んでいるような様子に、横島たちは顔を見合わせて首を捻った。
 こんな、借りてきた猫みたいに大人しいシロを、その場の誰も見た事がない。
 シロの周囲の空気だけ、密度が濃く重々しいようだった。
「なんだいなんだい、辛気臭いねえ」
 カラリとしたハスキーな声に全員が振り向く。
 美智恵と関を交えて何やら話していたグーラーが大股で歩み寄ってくると、ベッドの上に無造作に腰を下ろした。
 突然な行動を取る初対面のこの女性に、表情が希薄だったシロが面食らった顔をした。
「ふむふむ……」
 唖然とするシロと横島たちを放って置いて、グーラーはシロの体を上から下まで舐めるように見詰めた。
 今までそんな視線で見られた事のないシロが、居心地の悪さを感じて体を縮ませる。
「ああ、そんな緊張しなくても良いよ」
 言いながら、最後にシロの目をじっと覗き込んだグーラーは、「うん」と言ってシロの頭をぽんぽんと叩いた。
 シロは何がなんだか良く解らないまま、体を緊張させている。
「なんなんだ、いったい?」
 意味不明の行動に、横島が問い掛けた。
「あら、横島、私を誰だと思ってるんだい?」
 グーラーは驚いたような表情を作って見せ、ついで悪戯っぽく笑う。
「誰って、グーラーだろ?」
 困ったような顔をする横島に、グーラーは笑顔で頷いた。
 彼女が笑うと、とても涼やかな印象を受ける。
 風のようだった。
「そーゆーこと、私は精霊(ジン)だよ。余計な憑きモノ位は見えるのさ」
 器用に片目を瞑って自分の目を指差す。
「あ、じゃあ……」
 おキヌが嬉しそうに微笑んだ。
「そ、解呪成功してるよ。流石マイダーリン横島だね、よくやった」
 にこやかで自然なダーリンと言う言葉に、その場の空気がピキっと割れる。
 美神の手の中に神通昆が現れ、おキヌの表情が固まり、一見無関心そうなタマモの背後には狐火が浮かんでいた。
 そんな事には頓着なく、横島に向かってぐっと親指を立てた拳を突き出したグーラーが、ふっと視線を落とす。
 もう片方の手の下で頭が震えているのを感じる。
「おや、どうしたんだい子犬ちゃん」
「拙者は狼でござるっ」
 小さな子供相手のような口調に、シロが初めて口を開いた。
 小さな怒りとも言えない苛つきが込められた言葉を、グーラーは満面の笑顔で受け止めた。
「そーかそーか、お嬢は人狼かい」
「そうでござる」
 ますます深くなった口元の笑みには、たっぷりとした余裕が伺えた。
 ここ暫くのちびガルーダの親代わりの生活の成果だろうか、立ち振る舞いに厚みがある。
 底知れない余裕の篭った笑み。
 けれど、シロは不思議と嫌らしさは感じなかった。
 ちなみに条件反射的に自分も親指を立ててしまった横島は、折檻を受けている。
「で、誇り高い狼が何をそんなにおどおどしてるんだい?」
「べ、別に拙者は……」
 グーラーの深い色の瞳から視線を逃がした先では横島がタコ殴りにされていたが、なんとなく、そこからも目を逸らしてしまう。
 右側面から「あーーーーー」とか「ぎゃーーーー」とか聞こえてきたが、体が動かなかった。
 横島たちの何故かどこか楽しそうな匂いが、胸をちくりと刺す。
「おどおどなんか……」
 体が、口さえ重かった。
 それとも、重いのは心だろうか?
 解らない。
 心も、鈍くなるのだろうか?
 でも、もっと軽かったような気がする。自分は。
 自分の感情が理解できないのは、初めての経験だった。
 薄い膜が張ったように、感情の所在がぼやけている。
「おやまあ」
 グーラーが呆れたとでも言いた気に口を広げた。
 シロの首っ玉を抱え込むと、その耳元で囁く。
 微かに柑橘系の香りがした。
「お嬢がそんなだったら、アタシが貰っちゃおうかね、ダーリン♪」
「なっ……」
 どこまでも楽しそうな含み笑いに、絶句する。
 思わずグーラーの表情を覗き込むと、してやったりと言った顔で、その眼は笑っていた。
「そうそう、そうじゃなくちゃ。禁欲的な人狼なんて気持ち悪いよ」
 隠れ里の長老が聞いたら機嫌を悪くしそうな事を平気で言う。
 つい反射的に反応してしまったシロが、小声でまくし立てた。
「な、そ、禁欲的とか、関係ないでござる、先生は物じゃないからして、貰うとか、貰ってもらうとか、そんな……せ、先生は先生なんでござる」
 支離滅裂である。顔を真っ赤にして、いやいやをするように首を振る。
「で、私のダーリンでもある、と」
「な、何でござるか、それはっ!ふ、ふしだらでござる」
 平然と付け加えたグーラーの言葉の奥に含まれた笑みに気付かず、シロはヒートアップしていった。訳の解らない夢で堰き止められていた何かの一部が、ようやく溢れ出したようだ。
 けれど、グーラーはシロの言葉を笑顔で受け止めると、その耳元で柑橘系の香りと共に囁いた。
「おや、お嬢はお帰りのキスとか、したくないのかい?」
「……!!」
 シロの顔が爆発的に上気した。
 シロも横島の顔を舐める事は良くあった。
 だがそれは親愛の表現であり、犬族の生来の慣習であり、別に、そんな、キスとか、口づけとか、接吻とか、いや大体どれも同じ事だし、つまりそんな筈はない。拙者は横島先生を師匠として尊敬していて、そう詰まりアレは尊敬の念、敬愛の情がさせることであって、あえて言うなら散歩に付き合ってくれて嬉しいではないか、うん、でも、さっきの夢は、痛みは、いやアレは所詮夢で……。などという言葉が目まぐるしく脳内を駆け巡る。
「あら図星♪」
「うぅぅ、違うでござるぅ」
 小さな笑みに首を回すと、関と美智恵がひらひらと手を振っていた。
 あの二人が普段の様子を話して聞かせたのだろう。
「別に恥ずかしがらなくても良いのにねぇ」
 楽しそうに肩に乗ったガルーダの雛に話し掛けるグーラーに、シロは頭が混乱するばかりで反応できなかった。
「……」
 何故言葉が出てこないのだろう。
 昔は違った。
 ふと思う。
 こんな事は考える必要もなかった。
 自分はシンプルに、横島先生が好きだった。
 それは、自分がそうであるという事を考えただけで楽しくなるような、純粋で、単純で、混じり気のない感情。
 自由な、ストレートな、結晶のような想い。
 今は違うのだろうか?
 いや、今でも先生は好きだ。
 でも、なんだろう、今までとは違う気がする。
 ……重い。
 少しだけ、重くなってしまった。
 あんなに軽々と好きだったのに。
「……何が……変わったんでござろう」
 尋ねた訳ではなく、ただ言葉がシロの唇から零れた。
「アンタは、気に病みすぎだね」
 グーラーがあっさり言い切ってシロの頬を突付く。
 きめの細かい、シルクのような手触り。
 曲線に子供っぽい柔らかさを残していたが、だんだん大人の女性そのものになっている過程だと言う事が解る。
「横島がさっきどんな事言ったか、教えてあげよーか?」
 グーラーは、にんまりとチェシャ猫の笑みを浮かべた。

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