ザ・グレート・展開予測ショー

月ニ吼エル(13)


投稿者名:四季
投稿日時:(01/ 2/ 3)

「いーかげん、仲直りしたかあ?」
 タマモと入れ替わりでシャワーを浴びて来た横島の疑問に答えたのは、布団に潜って出てこないシロと、鼻歌交じりに自分のベッドでなにやら書き物をしているタマモの姿だった。
 サイドテーブルには空のマグカップがふたつ、ポツリと残されている。
「……はぁ」
 二人にすればもう少し素直になるかと思ったのだが、あからさまに失敗である。
 溜め息も零れようと言うものだった。
「シロー、出てこーい」
「ほっといてください、先生。拙者は今、ぶろーくんはーとなんでござる」
 横島の呼び掛けにも、返って来るのは布団越しの拗ねた言葉のみ。
 意味が解って言っているのか今ひとつ謎だが。
「なんだかなあ」
 基本的にからっとした性格なのだが、時々こうやって拗ねると、暫くは何を言っても聞かないのだ。
 苦笑いの表情で視線を移すと、タマモが鼻歌交じりに何かを書いていた。
「どうしたんだ?」
 彼女の人格から鼻歌などというものが飛び出してくるとは、十分に驚嘆に値する。
 本人の目の前でそんなことを言ったら燃やされそうだが。
「手紙書いてるの」
 便箋に向かったまま答えたその声も、どこか機嫌良さそうだった。
「手紙?――ああ、真友君か?」
 この九尾の少女の小さな友人の存在は、事務所の中では数少ない微笑ましい事象として認識されていた。
「うん」
 タマモも珍しい位素直に頷く。
 それだけ自然に受け容れられるほど、大切な存在なのだろう。
 先程から消える暇がなかった苦笑とは違う笑みが横島の口元に浮かんだ。
「うー」
 布団の下からそんな二人のやり取りを涙目で見詰めている存在もないではなかったが。
「便利な世の中よね、手紙とか、車とか。会いたければ大した苦労もなく会えるし」
 その辺りは人間に感謝しないでもないかな。
 鉛筆を滑らせる手を止めて、そんな事を呟く。
「認めて、信じてんだ?」
「なっ」
 笑みを含んだ横島の声に顔を真っ赤にしてタマモが振り向く。
 仕返しにしては趣味が悪い。
 にやけた顔に狐火の一つもくれてやろうとしたが、その勢いは横島の表情を見て急速に萎えた。
「良かったな」
 酷く曖昧で、穏やかで、優しいほどに柔らかいのに、欠けている。
 十六夜のような。
 そんな笑顔だった。
「な、な、なにが」
 本当は、分かっている。
 なんとなく、伝わるものがある。
「なくすなよ」
 はぐらかすようで、そうではない言葉。
 ほろ苦い笑顔。
 言葉の底に沈めた何か。
 けれど、それでも。
 この男は笑う。
 だから。
「…………よ」
 認めてるよ。
 信じてるよ。
 オマエの事も。
「ん、なんだ?」
 だから、そんな顔するな。
 そんな。
 そんな顔。
 するな。
「タマモ、どうしたんだ?」
 これも又彼女にしては珍しくぼそぼそと呟くような声に、横島は不思議そうな顔をしてその瞳を覗き込んだ。
「横島……」
 と、タマモの顔が瞬時に真っ赤になり、眉がきりきりと吊り上る。
「……っ、もういいっ!!」
 轟音とともに飛来する枕。
「ぐはっ」
 横島は律儀に顔で受け止めた。
 勢いに任せて張り付いた枕は、一瞬の沈黙の後重力に従いゆっくりと顔から剥がれ落ちた。
 横島の表情は衝撃のままに硬直している。
 まあ、わからなくもない。
「……俺が何をしたっ!」
 何もしなかったのが悪いと思うのだが。
 という突っ込みが入る前に、もう一個枕が飛んできた。
 後頭部直撃。
「なんでじゃーーーっ!」
 振り向けば、そこには布団の下で唇を噛み締める犬、もとい狼の姿。
「何でタマモばっかり構うでござるかー」
 なにやら思いっきり誤解している様子である。
 それともシロの感性が小さな変化を感じたのか。
「あのなあ……」
 どうせいっちゅーんじゃ。
 一瞬、明後日の方向に匙を投げたくなったが、シロの表情を見ている内に思い直した。
「シロ、薬は飲んだのか?」
 普段の調子とは少し違う。
 子供に話し掛けるような、そんな穏やかさで、感情的にはフラットな言葉を紡ぐ。
 宥めすかすのではなく、圧迫するのでもない。
 ただ、答えを待っている。
「……まだでござる」
 シロの声は、硬質だった。
 何かに腹を立てて、でも、それを必死で我慢している声。
 何が心を漣だてるのか、それすらも解かっていない、そんな不安定さ。
 訳もなく握り締めた拳が震える。
「早く良くなって散歩に行きたくないのか?」
 声に僅かに笑みが混じる。
 いつだって率直で、笑ってしまうほど感情的で、後先考えずにすぐ先走る、言ってしまえばある種の粗忽さを持っているこの弟子の性格が、なんだかんだ言っても、横島には好ましかった。
「……うーっ、でもなんだか納得いかないでござる」
 首を捻る。
 自分でも何に腹を立てているのか良く分かっていないのだから、納得の仕様もないだろう。
 タマモは、知らん振りで手紙の続きを書いている。
 彼女なりのさり気ない気使い。
「あれ?隊長が、シロは大人しく良い子にしてたって言ってたんだけどな……あれは何かの間違いか?」
「そ、そんなことないでござるよっ」
 横島のその言葉に、シロはついにベッドの上に体を起こした。
 パジャマの袖で、ぐしぐしと目元を擦る。
 目の周りが赤くなったが、同時に笑顔も思い出していた。
「おっし。んじゃ、とっととつまらねー病気治して散歩するぞ」
 くしゃくしゃとその頭を撫でながら、横島が実に珍しいことを言う。
「ホントでござるかっ!?」
 シロが飛びつかんばかりの勢いで訊き返した。
 未だかつて横島から散歩に誘ってくれたことがあっただろうか、いや無い(反語)。
 それはある意味、シロには最高のご褒美かもしれなかった。
「早速のむでござるよっ!」
 そのいかにも苦そうな色の液体を、シロは躊躇せずに飲み干した。



 階下では、長閑な茶飲み話が続いている。
「変死体?」
「ええ、そりゃもう見事な、非の打ち所がない、惚れ惚れするような変死体です」
 どんな変死体だ。
 という突っ込みは美智恵からは入らなかった。この男のパーソナリティにはもう慣れている。
 まあ、少なくとも話のツマミとしては上等な部類ではないだろうが。
「今の世の中、変死体の一つや二つ、そう珍しくもないでしょう」
 茶を啜りながら、詰まらなさそうに応じる。
 だとしたら嫌な世の中だ。
 関は端正な笑顔を崩すことはなかったが。
 彼の真意を伺うことは難しい。どこに真意があるのか、表面なのか裏なのか、それとももっと奥深くか、それすら見えはしないのだ。
「一つや二つなら、どんな異常な変死体も一般の警察でも対応するでしょうね」
 そして彼は訳も無く言ってのける。
 笑顔にどこか物騒な、それでいて楽しそうな影が落ちた。
「つまり、そういうことか」
「ええ、そういうことです」
 二人は視線で頷きあった。
 美智恵のそれは、幾分うんざりしているように見えなくもなかったが。
「OK、話して頂戴。相談に乗るわよ」
 だが、覚悟を決め、意識を鋭角化するのには、瞬きひとつの時間で十分だ。
 彼女もまた、無数の修羅場を全て潜り抜けてきた本物だった。
「事の起こりは……」
 ある終電間際の地下鉄の駅構内で、ホームレスの変死体が発見された。
 見るからに自然死とは思えない、異常死体。
 だが、凶器を使った他殺にも、それは見えなかった。
「穴です」
 その死体には体中に穴があいていた。
 ゴルフボール大の小さなものから人体の大きさとの比率からして一見穴とは言い難いような大きさのもの。
 死体を見慣れている筈の捜査員の中からも嘔吐する者が現れるほど、その現場は異常な凄惨さに包まれていたらしい。
 更に異常だったことには、周囲には血が飛び散った痕もなかったのだ。
 そして、それだけの傷を与えていながら、衣服には破れ目一つ付いていなかった。
 どうやったら、こんな異常死に方(或いは殺し方)ができるのか、その場の誰にも想像出来なかった。
 それだけでも或いはICPOのオカルトGメンに出動要請が下るのに十分だったかもしれない。
 けれど、事はそれだけに留まらなかった。
「細部は異なりますが、三日後、同じような死体が発見されました。それぞれ別の場所で二体」
 そしてその後も、似たような死体が毎日のように発見された。
 その数、今日の時点で実に十二体。
 胸部が丸ごと抉り取られたような死体もあった。
 下半身が無くなっているもの、残っている部位の方が少ないものもあった。
 もしかしたら、発見されていないだけで、体ごと消えてしまった人間さえいるかもしれない。
「それで、我々にお鉢が回って来たという訳です」
 語り終えた後も、関は表情を動かさなかった。
 まるで、どんな事実も彼の心を動かすことが無いようである。
「なるほどね……警察の手で分っている事は皆無なの?」
「ひとつだけありますよ、共通点が。起きている事象の特異性からして、この共通点が重要かどうかは警視庁も判断しかねているようですが」
 美智恵には、その言葉の裏に何か自信のようなものが感じられた。
 長い付き合いだ、癖のひとつも見抜けるようになる。
 平然と受け入れる体勢を作るように、一口茶を啜り舌を湿らせた。
「共通点ね……取っ掛かりとしては贅沢過ぎるほどよ。教えて頂戴」
「検死の結果、あるウィルスの変種らしきものの残骸が確認されました。――とても、懐かしいウィルスですよ」
「懐かしいウィルス?」
 微かに首を傾ける。
 ウィルスに懐かしいなど、あるだろうか。
 関は、最後まで平然と言ってのけた。
「ええ、日本では久しく聞かなかった名前ですよ。――rabies virus、狂犬病です」
 美智恵は、自分の唾液を飲み込む音がやけに大きく響いたような気がした。

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