ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(78)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(01/ 1/27)

 ―――飴玉に、なってやる

 甘くて、大きな飴玉に
 ……両手にも、ポケットにも、抱えきれないぐらいの
 甘い甘い、飴玉に―――


 カラカラと、回りの良い車輪が回転する小気味の良い音を立てながら、入院患者達の夕食を乗せたワゴンとそれを押す看護婦が廊下を往復している。
 ドア一枚隔てた廊下から聞こえるその音をぼんやりと聞きながら、俯いたままじっとしていたエミは、目の前のベッドへと目を向けた。
 ベッドの上では、カーテン越しに射し込む柔らかな夕日を浴びて、ピートが眠っている。
 今度は狸寝入りではない、体の正直な疲労による、正真正銘の眠りだ。
 話している内に眠気がさしてきたのか、うとうとしてきたのを見て寝かせてから、もうどれぐらいになるだろう。
(見舞いに来て、話して―――それからだから……)
 話していた最中には、まだ日は高かったように思うが、今はもう、カーテン越しに射し込んでくる日の光の色は、照りつけるような白色から、燃え立つ赤へと変化している。
 夏の夕暮れは遅いとは言え、夕食が始まるような時刻なのだ。夕暮れが始まっているのも当然だろう。
 カーテンの合わせ目の隙間からは、直視すれば目を焦がすようなギラギラとした赤が見えるが、部屋の中に入ってくる光はカーテンで和らげられているため、ベッドに寝ているピートを照らす光も、部屋全体にぼんやりと広がっている夕日の色も、ごく柔らかい穏やかなものである。
 暖かな印象を醸し出す淡い朱色の光で部屋全体が包まれているせいか、色が白いピートは肌の色が夕日の作り出す色に負けてしまっており、白いベッドシーツとも相俟って、オレンジ色の光に満たされた部屋の中ではどこか輪郭がぼんやりとして見える。
 その存在を確かめるかのように、エミは、ピートが寝入った時からずっと繋いだままの手に力を込めた。
 一般に、女性は冷え性が多いため男性より手が冷たいと言われるが、握ったピートの手は、女であるエミのそれよりもひんやりとしていて冷たい。
 それも、吸血鬼と言う異形の血を引く存在であるからか。
 後ろから抱きついて、うなじに頬を摺り寄せたりなどした時、ふと、妙に冷たい事に気づいて尋ねてみれば、人間の平均よりも二〜三度低いのが平熱だと言っていた。
 それでも、温もりはある。
 平熱が低いだけで、体温が無いわけではないのだ。
 手を握ってしばらくすれば、どちらの手も温まって、じんわりと優しい熱が伝わってくる。
 こちらの手の中に片方の手を預けたまま、すやすやと眠っているピートの寝顔をしばらく見つめ―――そして、視線を自分の膝に落として俯くと、エミは、寝入る前に交わしたやり取りの中での、ピートの言葉を思い浮かべた。

 『……何か、人といるの、辛いかなあ、って』
 『……冗談ですよ』
 『やせ我慢に見えますか?』
 『……人といるのが、幸せなんです』
 『……守れなくても―――信じられる約束は、あるんですよ』

 『……エミさんは、信じさせてはくれるでしょう―――?』

      信ジサセテハ、クレルデショウ―――?


                      ……はい

 にっこりと、小首を傾げて笑いながら言ってきたピートの表情と、その言葉を思い出しながら―――俯いたまま、エミは、心の中で呟いていた。

      ……はい
 ……もう、いいです
               ……もう、あんたには負けました
   ……負けました
                     男に負けたのなんて、初めてです
      ガキだと思ってたのに、あんたには……

  ……もう、いいです

            ……もう、あんたが幸せなら、それでいいです

  ……あんたが笑ってるなら、それで―――


 「負けた」と思った時に、「落とされた」と思った。

 美形だけど年下。顔は綺麗だけど、所詮はガキ。
 ちょっと良いんじゃないと、軽い気持ちで迫っていた、それが。
 ちょっかいかけて、かーるく落としてやるつもりが、落とされた。
 あたしが男に落とされるなんて、笑い話にもなりゃしないワケ。

 ……それでも悪い気はしないと言う事自体、すでにもう、「犬も食わない」状態なのかも知れないが。
 ピートの手を握る手に、ぎゅっと力を込めるとエミは、俯いたまま心の中で続けた。

   ……いいわよ、もう
 あたしの負けよ、令子相手でもこんなの無かったぐらいの、大負けよ
 でも、いいわよ 落とされといてやるワケ

 その代わり、覚悟しときなさいよ

 落とされたのが、あたしの方だけなんて悔しいワケ
 だから
 これまで以上にモーションかけてあげるワケ
 実年齢はともかく、少なくとも恋愛事にかけちゃあ、私はお姉さんなんだから
 断り続けてるデートだって、いつかは付き合わせてみせるわよ
 引っ付いて、引っ付いて、あんたの思い出の中の良い事全部があたしの事になるようにしてあげるワケ
 どれだけ長生きしても忘れられないぐらい、あんたの中に「あたし」を残す
 あんたにとって、そんな女になってみせるから

 ……いえ。別にもう、「女」としてじゃなくても良いワケ

         ……恋愛対象なんかじゃなくても、もう良いわよ

  ……はい
              白状します

 ……もう、ね
   ……恋人でも、母親でも、姉妹でも友人でも、何でも良いワケ
 あんたが笑っていられるんなら、もう、あたしはそれで良いワケよ

 ……あんたの中に、永久に残るような、飴玉になってやる

 ……恋人でも家族でも何でも良いから、あんたに、思い出の飴玉を沢山

 あんた、思い出は飴玉みたいなもんだって言ったでしょ?
 じゃあもう、思いっきり残してやるわよ
 甘くて甘くて、口の中に入れた途端に、喉の奥まで甘さが広がるようなやつを
 ポケットにも両手にも、持ち切れないぐらい、いっぱい
 飴玉の中に溺れるんじゃないかってぐらい、いっぱいの甘い飴玉を

 ……甘い甘い、飴玉に、なってやる

 俯いて、口の中で呟きながら。
 ピートの手を握っているエミの手の上に、涙が落ちた。
 強く噛み締めた歯が、キリリ、と僅かに鳴る。
 ピークを迎えていよいよ赤く燃え立つ夕焼けの光に包まれ、空気自体がぼんやりとしたような雰囲気を持つ部屋の中、エミは、固く閉ざした瞼の端から涙を流していた。

 ……甘い甘い、飴玉になってやる
 両手に抱えきれないぐらいいっぱいの、飴玉に

 ―――……いつか、独りになってしまった時に

 寂しさに、埋もれないように

 ……いつか、独りになってしまっても

 ……この子が、笑顔でいられるように

 そんな飴玉を残してやれるんなら、恋人だろーが母親だろーが、何だって構わない

 笑顔で、いられますように
 あんたが、いつだって、笑顔で―――

 その目から次々と溢れ、落ちた涙は、エミの手だけではなく、その中に握られているピートの手も濡らしていく。
 自分の涙で濡れたその手を持ち上げ、そっと唇を押し当てるだけの慈しむような口づけをしながらエミは、なおも涙を流し続け、心の中で呟いていた。
 ―――祈る、ように


 ―――飴玉に、なってやる

 甘くて、大きな飴玉に
 ……両手にも、ポケットにも、抱えきれないぐらいの
 甘い甘い、飴玉に―――


         ……あんたが、ずっと笑顔でいられるように

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa