ザ・グレート・展開予測ショー

月ニ吼エル(10)〜外伝・後編


投稿者名:四季
投稿日時:(01/ 1/26)


 シャリシャリという音で、意識が覚めた。
 ゆっくりと目を開くと蛍光灯の明かりが白々と灯っている。時間感覚が、今ひとつはっきりしない。
 雨だけでなく風も出てきたのだろう、窓がカタカタと小さな音を立てていた。
「あら、起きた?」
 声の方に首を捻ると額からぱさりとタオルが落ちた。美智恵が取り替えてくれたのだろう、まだ冷たくて感触が心地良い。
「・・・今、何時でござろう?」
 全身の倦怠感は引くどころかまた酷くなっていたが、どうやら咽喉はやられていないようだった。
「もうすぐ三時ね。さっき連絡があって横島君もうすぐ帰ってくるそうよ」
「ホントでござるかっ!?」
「ふふっ、貴女にはそっちの方が薬かしらね」
 勢い良く上半身を起こしてクラクラ来ているシロに面白そうに視線を向ける。その間も手は動かしたままだ。
「あれ、何してるでござるか?」
 ようやく気づいたのか、シロの興味が美智恵の手元に集まる。
 魔法のように滑らかな手つきで果物を切り分けていた。
「さーて、なんでしょう」
 楽しそうに問い掛ける美智恵。
 匂いでピンときた。
「林檎でござろう?」
 よくよく見てみると、お盆の上に剥き終えた皮が載っている。
 皮の太さが一定で一本に繋がっている、かなりの腕前だ。聞こえていたのは、林檎の皮を剥く音だったのだろう。
「正解。じゃ、ご褒美ね。手を出して?」
 掌を伸ばすと、八等分された白い果物がそっとのせられた。
「定番の桃缶にしようかとも思ったんだけどね。昨日八百屋さんで良いの見つけたから、もう一つの定番」
 美智恵も自分用に切り分けた林檎を頬張る。
 シャクシャクという心地良い音がシロの耳に届く。体調が悪い時のおやつとしてはこれ以上のものはないだろう。
「んー、美味しい。蜜がタップリだわ。やっぱ食べ物は旬のものよねー♪」
 自分の選択が正しかったことが嬉しいのだろう。
 まるで世界一美味しい果物を食べているような表情だ。
『こういう時の表情は、美神さんそっくりでござるな』
 太陽のようだと思う。
 どんな事も為るようにしてしまう。そんな強さ。
「どうしたの。もしかして林檎苦手だったかしら?」
「え、あ、そんなことないでござるよ」
 ぼーっと美智恵を見つめていたシロは、気付いて林檎を頬張った。
「・・・おいしい」
 サクサクした食感とひんやり心地よい口当たり。何より滴るような黄金色の蜜がとても甘かった。
「でしょ。病気の時は林檎よね」
「はぁ、そうなのでござるか?」
 シロには良く判らない。
 幼い頃は―と言ってもそう昔のことではないのだが―幾度か病気をしたこともあるし、一度大病を患ったこともある。けれど、周囲に林檎を剥いてくれる人はいなかったし、それに父も長老も親身に看病してくれたので、特にそれで不足を感じることはなかった。
 確かに林檎は美味しかったが。
「風邪ひいて寝込んだりすると、良く母さんに摩り下ろした林檎とか食べさせてもらったわ・・・そういえばなんで林檎なのかしらね?」
「美智恵殿の母上でござるか」
「ええ、あとは玉子酒とかね。貴女にはまだ早いかもしれないけど――人狼族は、あまり果物は看病に使わない?」
 基本食性は肉食だものね。
 自分のことばかり喋り過ぎたかな、と苦笑する美智恵にシロは慌てて首を振った。
「いや、拙者父一人子一人で育ったゆえに良く解らんのでござるよ」
 言って、枕に頭を沈める。
 その事を微塵も辛いと思った事はなかったが、ふと父と過ごした日々の事が思い出されて胸の奥が鳴いた。
 大好きだった父は、もういない。
 母親が生きていたら、この小さな痛みも少しは違ったのだろうか?
「そっか――ちょっと無神経だったかしらね」
「あ、いや、そんなことないでござるよ。美智恵殿のお話楽しかったでござるし――それに」
 シロの様子を見て、懐かしさも手伝って何処かはしゃいでいた自分に苦笑する美智恵に、シロはもう一度首を振った。
「それに、今日はなんだか母上がいるみたいで嬉しかったでござる」
 にっこりと笑う。
 強がりでも慰めでもなくて、彼女は知っている。
 自分が生きていることが、自分の中に流れる血が、間違いなく両親のものであることを。誇り高い野生が、告げている。
 そして、自らの記憶の父が、心の中に残る思い出が、間違いなく父の証であることを。優しい温もりが、教えてくれる。
 何より、今の自分は一人きりではなかった。
 敬愛する師がいて、友がいて、そして、今日の美智恵は本当に母親のようで。
「――そう、貴女、強くて素敵な、いい子ね」
 じっとシロの瞳を見つめていた美智恵が、まるでとても愛しいものを見つけたように、目を細めた。
 いとし子を見守る母の眼差しにも似た穏やかな温もり。
「ホントでござるか?拙者いい子でござるか!?」
 途端にシロの目がキラキラと輝く。 
 体は超回復の作用で急な成長を見せたが、心はまだ子供のような柔軟さと率直さを持っているのだ。普段大いにからかいの種にされてはいたが、横島を始め事務所の面々はそれをシロらしい個性として受け入れている。
 それは美智恵にしても同じことだった。
「ええ、とびっきりいい子。横島君が帰ってきたら、ちゃんといい子にしてたって誉めて貰いなさい。私が証言してあげるわよ」
「やったでござるぅ!」
 笑み交じりの美智恵の声にベッドの中で飛び上がらんばかりにガッツポーズを決めるシロ。
 全身で示すその喜びの表現に美智恵は思わずシロの頭をぎゅっと抱きしめた。
「美智恵殿?」
 不思議そうなシロ。
 豊かな胸に顔を包まれて、少し息苦しかった。
 横島が見たら血の涙を流して代わってくれと言うかもしれない。
 まあ、血の雨を降らせることになるのが落ちだが。
 それはともかく。
「うーん、かわいっ!横島君の前に私がいい子いい子してあげるわ!」
 美智恵はぎゅーっと抱きしめてぐしゃぐしゃに髪をかき混ぜる。
「令子も可愛かったけど、貴女みたいに素直で強い子もかわいーわねー♪――ひのめはその路線で行こうかしら?」
 目を白黒させるシロを他所に何やら子育て計画に修正まで加え始める。
「うー、くるしーでござるよー」
「いーからいーから♪」
 シロは照れ臭いのか暫く軽く身を捩っていたが、やがて大人しくなった。
 窒息した、のではない。
 何か、懐かしいような気分だった。
 甘いミルクのような匂い、重なる鼓動、細くて、でも力強い手。
『――これが「お母さん」なのでござるかな――』
 漠然と思う。
 もう、決して本当には解からない感触。
 でも。
 何時かは解る時が来るのだろうか?
 例えば、そう。
 自分が母親になった時、とか。
『楽しみでござるなあ』
 相手が誰か、とは考えなかった。
 ただ、思う。
『美智恵殿のような、ワイルドで頼りになる、温かい「お母さん」になりたいものでござる』
 何故だろう、急にそんなことを考えてしまった自分が可笑しかった。
 気が早すぎるだろうか。
「えへへへっ」
「あら、どうしたの?」
 急に肩を震わせて笑い出したシロの顔を覗き込む美智恵。
「ううん、なんでもないでござるよっ」
 それに笑顔で答えると、シロはつい今しがた彼女の耳に届いた声のことを教えた。
「それより美智恵殿、ひのめ殿が泣き出したでござるよ」
「あらっ、おしめかしら、おねむかしら。――ありがとうね」
 慌てず笑顔で立ち上がる美智恵。
 最後にひんやりとした手でシロの額にそっと触れていった。
 心地よい痕跡。
「美智恵殿――その、嬉しかったでござるよ」
 階段を下りる手前で、シロが小さな声で呟いた。
 美智恵がきょとんとした表情で振り返る。
 一瞬驚いたような顔をした後、弾けるように笑い出した。
「ふふふっ、良いのよ。貴女もタマモちゃんも、家族みたいなものだもの」
 変な遠慮しないの。
 そう付け加えると、美智恵は最後に器用に片目を瞑った。
「それより、今は大人しく寝てなさい。今度は横島君に誉めて貰いたいんでしょ?」
 耳まで真っ赤になったシロを残してトントンと階段を降りていった美智恵は、やはり一枚も二枚も上手だったようだ。
 布団を口元まで持ち上げて、シロはぐるぐるになった思考を力ずくで押さえ込んで目を閉じる。
 堪えても堪えても笑いが込み上げて来た。
 瞼の裏に浮かぶのは先生の笑顔だったりタマモがベーっと舌を出した顔だったり、採り止めもなく流れていく。
 子供を抱いている自分が浮かんだときにはやっぱり思わず笑ってしまって。
 体は相変わらずだるい。
 けれど、もう不安は無かった。
 耳に届く窓を打つ雨の音も、風の唸りも、優しく心地よいものに感じられる。
「『お母さん』の手は魔法の手でござるなあ」
 次に目が覚めた時には先生は居てくれるだろうか。
 きっと居てくれるだろう。
 どんな風に「お帰りなさい」を言おう。 
 どんな声で「ただいま」を言ってくれるだろう。
 そして、いい子にしてたと言ったら、何て言って誉めてくれるだろうか。

 色んな嬉しい事を考えている内に、シロは眠りに落ちていった。

 目覚めの挨拶としては、「お帰りなさい」を言う前にやけに先生の側にポジションを取るタマモと口喧嘩から始めることになるのだが、それはまた別の話。

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