ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(23)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(01/ 1/22)

「……それはそうと、どうやったらこのお姫様は寝てくれるんだろうな?」
横島は右手をピエッラの頭に伸ばし、くしゃくしゃと撫でてやる。シロとタマモの頭髪の感蝕が不意に思い出された。
「ちょっと横島さん、ピエッラちゃん、ごめんね。」
キヌはそう断わってから、パンプスを脱いで寝台の上に上がる。そしてピエッラの隣に寝転がると、先刻迄と同様に幼子の身体に腕を回した。
「そうか、おキヌちゃんの十八番の!」
右手の拳を左手のの掌を打付ける仕草で納得を示した横島の言葉に、キヌは頬をほんのり紅く染める事で返した。またもや不思議そうに顔を巡らすピエッラの顔をまっすぐ見下ろすキヌの口元が、ゆっくりと開いた。

この子の可愛さ 限り無し
山では 木の数 萱の数
尾花 苅萱 萩 桔梗
七草 千草の数よりも
星の数より まだ可愛
可愛いこの子が ねんねする
ねんねん ねんねこ ねんねこやあ
ねんねん ころりよ……

子守唄の節に合わせて、幼子の胸の上にのせた右手で音頭を取る。その拍動が皆の心拍と重なり合った時、キヌの澄みきった唄声は薄暗い寝室中に遍(あまね)く響きわたっていった。
『あれ? 赤ん坊の頃なんて憶えてる訳無えのに、何でこんなに懐かしいんだろうな?」
優しい唄声に誘われるままに、横島もまた奇妙な郷愁に囚われていた。
それは物心つく前の、本来ならば思い出せない程、遠い遠い記憶のひとかけら。


ベビーカーの中から見上げる青い空。
そう、あの時、俺は何だか妙に悲しくて、大声を張り上げて泣いていたっけか。

「あらあら、どうしたの、タダオちゃん。よしよし、よしよし。」

宥めても賺しても、泣き止まない赤ん坊の俺を見て、困り顔の……何だ、若いオカンか。
そん時の俺は、まだこの青空を眺めていたくて、恐い夢を観るのが堪らなく嫌で、
今眼を閉じてしまえば、そのまま目覚められなくなりそうで。

「ねぇ、おばちゃーん! (とととっ) あかちゃんにさやってもいい?」

舌っ足らずなガキんちょの声。もっとも俺の方が年下なんだけど。多分。

「かやいー(はーと)。 (なでなで)」

花畑の様な匂いと共に、なれなれしい手がまだ薄い俺の頭を撫で回す。むう。

「ないてたや、めーでしょ!」

赤ん坊にはどんなに泣いても許される権利が有る。ここで泣き止んでたまるか。

「いいこだかや…なきやみなちゃい!」

抵抗する俺の視界が、逆光気味のそいつの顔に侵食されていく。
視界が完全にそいつに支配されるまで、俺は幼けな抵抗を続けるのに必死だった。


「やめろーーーーーーっ!!!」


突然の甲高い悲鳴に、横島の微睡(まどろ)みは跡形も無く霧消した。急いで眼を擦り状況を確認すると、寝台の上のキヌは上体を起こしてピエッラを見下ろしていた。キヌの後ろ髪を束ねている筈の紐は何時の間にか外れていて、艶やかな黒髪が岩に裂かれた水流の様に頭部から垂れ下がっている。
「横島さん。」
「んっ? ああ、ごめん! いやー、おキヌちゃんの唄があんまり心地良かったもんで、つい俺もウトウトと。ああ、どうやらお姫様は眠ったみたいだね?」
静かなキヌの声に釣られて小声で捲し立てると、横島は再度自分の後頭部を無茶苦茶に掻く。
本当は横島の位置からは、キヌの方に頭を傾けているピエッラの顔は見えない。
キヌの反論が無い処を見ると、まあ間違っている訳でも無いのであろう。
「横島さん。」
キヌは呟く様にそう言うと、若草色のワンピースの裾を引き擦りながら、寝台の上をゆっくりと這う様にして横島に接近してくる。垂れ下がった髪の毛が邪魔で残念ながら彼女の顔を見ることが出来無い。急に先刻の悲鳴を思いだし、横島は奇妙な不安感に襲われた。
『さっきの悲鳴……あれは、夢の中の、だよな……まさかな?』
夢の中のセリフならば一応辻褄は合っているが、現実でのセリフだったとしたら少し妙だ。ただ不思議と己れの心臓の鼓動が高なってくるのが分かる。
「横島さん。」
再三そう呼び掛けるキヌは既に、横島と鼻を突き合わせられる程の距離にまで接近していた。フローラルの香水の香りが青年の興奮気味の鼻腔を穏やかに刺激する。上体を少し起こしたキヌの、深く撓(たわ)んだワンピースの襟元へと不可抗力的に横島の視線が集中する。しかし肝心の膨らんだ部分は深く陰になっていて、シルエットすらも確認できない。心の中で軽く舌打ちをする青年の頬に、髪の毛の先端が突き刺さる感覚を覚えた直後、キヌの全体重が横島の胸の上に覆い被さってきた。無論こんな彼に支えきれる訳も無く、二人は縺(もつ)れ合う様に床に倒れ込んだ。

今、横島の胸の上にキヌの頭が置かれている。お陰で自分の足元の方はよく見えないが、衣服越しに伝わってくる確かな暖かい感蝕から判断すると、横島の身体の上にキヌの身体がぴったりと重なっている状態になっている様だ。
「あたたたっ……、だ、大丈夫かい、おキヌちゃん?」
横島が声を掛けると、キヌの頭が僅かに動いた。どうやら、無事の様だ。
まだ顔を上げようとしない処を見ると、少し貧血気味なのかもしれない。
その証拠に、彼女の肩口はあんなに青白いではないか。
「……んっ? 肩?」
落下の際のどさくさで、キヌの若草色のワンピースの襟は肩口が大きく開(はだ)けてしまっていた。横島は本能的にその白くきらめく肌を凝視していたが、それも長くは続かなかった。
収まっていた筈の心拍数が息苦しくなる程上昇している。視覚に奪われていた筈の集中力が、足の先から胸にかけて彼を覆っている快い温もりへと分散していく。特にこの腰の辺りに集中している感蝕が堪らない。なんかとっても柔らかくて、とっても暖かくて……
「あ……やばっ!」
男とは、然るべき感覚に対してはほぼ反射的に身体が反応してしまう、という悲しい習性を持つ生き物である。その前兆にある微妙な感覚をいち早く察知した横島は、急いでキヌを自分の身体の上から引き剥がしにかかった。
先刻まではあんなにアヴァンテュールを夢観ていたと云うのに、こうも予想外のアプローチをされると却って遠慮が働いてしまう。しかし今の横島には自分のアドリブの弱さを嘆いている暇は無かった。
「ねぇ、おキヌちゃん! 頼むから。ほら起きて!!」
後ろめたさから、叫んだ積もりが小声に成ってしまった所為なのか、キヌは身体をくねらせるばかりで今一つ反応が鈍い。
「ねぇ、起きてってば、ねぇ!!」
横島は玉の肌に無断で触れる事を心の中で謝りながら、開けた肩を掴んで強引に持ち上げた。意外と肌は乾燥していて、少しひんやりしていた。
力無く項垂れたキヌの顔を覆い隠している、長い黒髪の先端が横島の鼻の頭を擽(くすぐ)る。横島の心音に合わせて、キヌの頭が小刻みに振動する。その肩越しに、何かが見えた気がした。
「横島さん。」
どこか生彩を欠いた再四の呼び掛けを合図にして、汗ばんでいた横島の両手が滑る。
「!」
キヌの上体が再び落下を始めた。このままいくとキヌの頭は丁度横島の頭の隣りに来る筈だ。そして、彼女の肩口は横島の顎の下当たりの、抱擁するには絶妙となる位置を確保するだろう。先刻の「おキヌちゃんの告白」の事が再び横島の脳裏を掠めたが、まさかこんな事態になるとは、彼は全く覚悟していなかった。
「!?」
再び、キヌの肩越しを何かが過(よぎ)る。間違い無い、今度こそは見逃がさなかった。
続いてキヌの肩口にある、二つの小さな紅い穴の様な傷跡も、はっきりと見えた。


「横島さん。私、私ぃ……っ!!」
瞳に濁った光を宿したキヌは持て余し気味の犬歯を閃かせると、横島の首筋めがけてその長髪の頭を大きく振り仰いだ。
彼女の背後では、微かに朱に染まった八重歯も露わに微笑むピエッラが、寝台の上2メートルをゆらりと浮遊している。


丸く輝いていたはずの月が、今は三分程、噛られた様に丸く欠けている。
もう四半刻もすれば紅い月――皆既月蝕が、この夜の全てを紅く染め上げる筈だ。

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