ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(21)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/12/12)

「……ねえ、『魔王』さま?」
「……なんだ?」
「うん、どうなったの、パルテノペーさん。 やっつけてないんでしょ?」
「ん、ああ、その話か……。」
急に現実に引き戻された様な錯覚に襲われて、カオスは今の自分の行為が照れ臭くなった。しかし彼は腕の中の少女の頭を、熱心に撫で続けていた。
「私はセイレーンの奴と話し合った。私に興味が有ったのは、一体どうやって奴が墓場から蘇ったのかという事だ。適当にその辺を訊き出そうとしておったら、奴はここで妙な勝負を提案してきおった。その勝負に負けた方が勝った方の言い分を聞くと。その勝負、何だと思う?」
テレサは小首を傾げて、暫く悩み抜いた。
「……しりとり?」
「……ぶっぶーっ、はずれーっ……正解は、紳士的に唄の腕前を競った、でした。」
「ふん、ただのうた合戦じゃない。」
おどけてみせるカオスに、テレサは不機嫌そうに鼻を鳴らした
今迄が今迄であった分、今の素直なテレサを見ているのは正直言って変な気分だ。でもそれは決して不快なのでは無く、むしろその戸惑いが心地良い。

また、沈黙。

「……ねえ?」
「……なんだ?」
「うた、きかせて?」
「………………」
「……だめ?」
「いや、駄目と言う訳では無いが、私は、その、あの、お、音痴だぞ。」
「でも、パルテノペーさんに勝ったんでしょ? あのうたの名人のセイレーンに。」
「いや、だが、しかし、その、なんだ……」
「……その時うたった、おはこなら大丈夫でしょ?」
「十八番だなんて言葉、良く知っておるな……おっほん、ではこの私、『地中海の魔王』ドクターカオスめが、麗しき姫君の閨(ねや)のお供として、この喉をご披露致しましょう!」
「わーい。」
ぱちぱちぱちぱちぱち。

カオスが他人に聴かせるために唄を唄うのは、セイレーンとの勝負の時をを除くとすると、百年振り以上に成るだろう。テレサの身体を支えている左手の方でゆっくりと音頭を取りながら、彼は裏声混じりの擦れた声で唄い始めた。唄っている本人の予想を大きく裏切って、暖かく優しい声が喉の奥から溢れてきた。

唄い手の役回りは、母なる大地。その身体の上、地上には彼女が慈しみ育んできたあらゆる生命体や非生命体がその存在を謳歌している。彼女はまさに全身でもって、彼らの繁栄を喜び、祝福する。
これは大地、すなわち世界に存在するあらゆるものたちに捧げられた子守唄なのだ。

カオスが唄い終わる頃には、腕の中の少女は今迄見た事の無いような穏やかな表情で、秘やかな寝息を立てていた。
彼女をきちんとベッドに寝かしつけてやろうと、そっと立ち上がろうとした殺那、身体のバランスが大きく崩れた。
「なうっ!」
黒の外套の一部がテレサの尻に敷かれているのに、彼は気が付かなかった。
再度床に転倒するカオスの勢いに引かれて、テレサも床へと落ちる。
「しまった!」
カオスは慌てて、テレサの方へと這い寄る。

テレサは幸せそうな寝顔で、床の上に転がっている。
予定よりも遥かに早く、病気の最終段階――昏睡が始まったのだった。


* * * * * * * * * *


……とまあ色々あったものの、かつての病身だった筈の少女は立派に成長し、結婚して一児の母親に成っている。あんなに鉄面皮を装っていた彼女は今、カオスの目前で行儀を崩して大爆笑しているのだから、世の中分からないものだ。少なくともこの十年の間にテレサが過ごした時間は、それはそれは充実したものだったに違いない。彼女の姿に一片の眩しさと羨望を感じ、カオスは目を細めた。
ゆっくりと落ち着きを取り戻してきたテレサは、絹のハンカチーフで目尻の涙を拭いつつも、未だ笑いの余韻に肩を震わせていた。空いた方の手で、過負荷の掛かっていた腹筋をさすりながら、テレサは口を開いた。
「……ふふっ、ふぅ、ごめんなさい。でも、わたくしを治療して下さった時はあんなに情熱的に人生というものをを語っていらしたのに、『いつかは老いて滅びる』だなんて、まるで本当にお爺ちゃんに成ってしまったみたい。そんなに枯れてしまっては、『ヨーロッパの魔王』の名が泣きますわよ?」
「ぐぐっ、そ、それもまあ、そうじゃな。うむむ、この儂とした事が……わはははははは……」
カオスは頭を掻きながら、大袈裟に笑ってみせる。
尤も今の彼は700年後の未来からやってきた筋金入りの超老人なのだから、テレサの指摘は至極当然なのだ。だからと云って今更本当の事を話すのは面倒だし、何よりもこの『研究熱心な錬金術師』に下手な事を教えて、歴史に干渉してしまう様な危険は冒すべきでは無い。
したがって、ここではあくまで『この時代の人間』として行動すべきなのだと彼は判断し、この時空に到着した直後、美神たちにもその点はよくよく言い含めておいた。
しかし、そんな事情を知らないテレサに正面切って『枯れている』と言われたカオスは、腹の中でメソメソと泣いていた。
そんなカオスの内心には気付かぬ様子で、テレサは両腕を天に向けて高く差し上げる。
「嘗ては、『見よ、この夜空の星々を。この世界には未だ数え切れん程の不思議が私に解明されるのを待っておる……この終点の見えない、あてどの無い旅路は、やはりお前さんには酷と云うものだ。』なんて仰(おっしゃ)っていた事も有ったと云うのに!」
「はははげほげほっげほっげほほっ!?」
テレサの言葉にカオスは豪快に咽せてみせたが、今度は芝居ではなかった。
テレサは急に下を向いて、所在無さげに両手の指を絡ませる。
「……わたくしの、愛の告白への、断り文句……。」
二人の頬が、俄かに赤らんだ。

「し、しかし、そういうお前さんの愛の告白とやらも、ええと……『この生涯を世界に満ちた不思議の探究に捧げたいんです。その……あの、カオスさまと、ずっと、一緒に……。』とか何とかだったではないか。その6年前にはあんなに人生を儚んでおった薄幸の美少女の口から出た言葉とは到底考えられないセリフじゃのう!」
己の恥をそそぐ積もりだったのが、つい勢いで余計な事を口走ってしまった。
それに気付いたカオスが慌てて口を噤(つぐ)んだ時には、テレサは先程とは別の意味で紅潮させた顔で睨んでいた。
「あぁ、ひっどい! 花も羞じらう少女の告白を、そんな風に茶化すなんて!」
「ははぁ、花も羞じらうどころか、あの晩は月まで真っ赤に染まっておったのではないか? お前さんの告白やらでな!」
「あれは皆既月蝕です! それにそのお言葉、そっくりそのままお返ししますわ!」
「儂のセリフは月が赤くなった後じゃったから、月蝕が起きたのは儂の所為では無いぞ!」
「いいえ、何者かの意思に依って月と地球と太陽が一直線に整列する可能性は、ゼロとは言い切れませんわ!」
「……なんか、微妙に論点がズレてきとらんか?」
「……それも、そうですわね。」
真ん円(まる)くなった二組の目玉が、交互に相手を見合わせる。
研究以外の実に取るに足らない内容で口論に成った、かつての日々が追想される。
懐しさからか、それとも照れからか、どちらともなく心地の好い笑い声が上がった。
テイブルの上のティーカップからは、未だ香りの好い湯気が上がっている。

「……ははは、おお、そうじゃ。テレサ殿に一つ、頼みたい事が有ったんじゃ。」
互いに笑い疲れ始めた頃合いを見計らい、カオスは口を狭んだ。
「……ふふふ、はい、どんな頼み事でしょう? わたくしを袖にした事実を取り消したいと仰(おっしゃ)るなら、わたくしにはもう愛する夫や子供らが居りますから、それはダメですわよ?」
「だっ、 誰もその様な事を……」
カオスは、声を荒らげて反論しそうに成った自分をどうにか抑え込む。
今更『愛する夫や子供ら』に妬く様な歳では無い、筈である。
更なる追撃の機会をテレサから奪取すべく、早く沈黙を破らなくてはならないカオスだった。
「……ぅおっほん。実はマリア……当然人造人間の方じゃが、ここに来る迄に動けなくなってしまってな、何せあれほどの重量の有る機体ゆえに運ぶ事も出来んでな、今は森の中に置いてきてるんじゃ。」
「まあ、それは大変! 急いでここに運んで修理しないと。」
「いいいいやいやいや、心配はご無用! 怪我をした際に冷却用の人造体液が思いの外、流出してしまったのでな、自己修復すら満足に機能しない状態じゃ。それすら補充してしまえば大丈夫じゃよ。だから人造体液を合成する為、一晩この部屋をお借りしたいのじゃが……。」
嘘である。そもそもあの定員超過の時間跳躍では、人造人間マリアはこの時代――14世紀中頃――には来ていない筈なのだから。
カオスの本当の目的は、帰還用の『時空超越内服液』を合成する事である。この薬品の絶大な効能は、計らずも自分達自身の身を以って証明してしまった。しかし現在彼の手元には帰りの分の薬品が残っていなかった。幸いこの薬品は貧乏なカオスにも開発が出来る程、材料の調達には手間が掛からない物ばかりであった……まあ、この薬品のお陰で危うく時空の狭間を永遠に彷徨う処だった横島達の名誉の為に、材料に関しての具体的な説明は省く事にしよう。
少なからず残念そうにしているテレサの頭を、カオスは手袋越しに撫でてやる。
「本当は『鋼鉄の乙女』の現物が観たかったんじゃろ? このマッド・アルケミストめ。」
「何せ『魔王』様の直弟子ですからね。……勿論、この研究室をお貸ししても宜しいですわ。但し、条件が一つだけ。」
「条件?」
訝しげなカオスの声に、テレサは挑戦的に眉毛を持ち上げて彼の顔を見上げる。
「本研究室利用の際には、傍らに従順かつ気心の知れた助手を置く事。いかが?」
「ふふふ、『優秀』と『美貌の』が抜けておるぞ。」
かつての師弟は見積め合い、再び微笑み合った。


研究室のある物見の塔は、周囲の建物からは孤立している。
何人も長時間は居られない筈の窓際から、一つの巨大な影が離れた。
それは、煉瓦の隙間に指を引っ掛けてするすると器用に塔から下りると、木陰の中へ飛び込んだ。

絵に描いた様な大きな満月が、秋の夜空を支配していた。

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