ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(73)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(00/11/22)

『……上げます。診察カード、七番でお待ちの菅原さまー。七番でお待ちの菅原さまー。十四番の診察室にお入り下さーい。繰り返し、お呼び出し申し上げますー。診察カード、七番でお待ちの……』

 外来の、どこかの棟の診察呼び出しだろうか。
 マイクとスピーカーを通しているせいか、どことなく間延びして聞こえる女性の声には、ぷちぷちと細かい泡が弾けるような雑音が被さっている。
 この病棟は外来からはだいぶ離れているし、病室の窓もドアも閉め切っているのだが、それでも通風孔やらを通して、多少は聞こえてしまうのだろう。
 うるさいと言うほどではないが、言っている内容がそれなりに聞き取れる程度に漏れ入ってきたその放送に対し、ベッドの上のピートは、揺すり起こされた幼子がむずがるような仕草で身を縮め、もぞもぞとシーツの中に潜り込んだ。
 そのまま、頭の半分をちょんとシーツの端から覗かせて、すやすやと寝入っている姿はひどく安らかなものである。
 僅かに開いた唇から漏れる静かな寝息に合わせてゆっくりと上下する肩も、蹴散らしたシーツから覗く些か寝相の悪い足も、実に自然な寝姿に見えた―――が。
「…………」
 院内放送が、ピンポーンと言うやたら陽気なチャイムを残して消えた後。
 パイプ椅子に腰掛けてピートを見つめたまま、ほとんど瞬きもせずにただ黙って「待ち」の姿勢を保っていたエミの、その視線に耐えかねたのか―――それとも、じっと「待ち」を保っているエミに対し、寝たふりを続けて誤魔化してしまう事が、心苦しくなったのか。
 再び、シーツの中でもぞもぞと動いたかと思うと―――ピートは、半分覗かせていた顔をエミの方に向け、薄目を開いてニ、三度瞬きすると、彼にしては珍しい、何か拗ねたようなバツの悪そうな表情を浮かべながら、ベッドの上に起き上がった。
「―――……何で分かったんですか?」
「……まあ、何となく、なワケ」
 横向きになって寝ていたせいで、頬に貼りついた髪の毛を手で散らしながら尋ねてきたピートにそう答える。
 実際エミは、先ほど、何か明確な根拠や確信があってピートに、起きてるだろうと言ったわけではない。自分でも説明し難い感触なのだが、キヌと喋りながらピートの様子などを見ている内に、何となく―――本当に何となく、狸寝入りなのではないのか、と言う根拠の無い自信を伴った考えが浮かび上がってきたのだ。
「何だ。それなら、もう少し寝たふり続けておけば誤魔化されてくれましたか?」
「何よお。せっかくお見舞いに来たのにひどいわねえ」
 どうやらピートの方は、エミが、何かはっきりと確信を持って自分の狸寝入りを見破ったと思っていたらしい。
 少し寝癖のついた髪を撫で付けながら、苦笑のような表情で言ったピートの言葉に、今度はエミの方が不機嫌そうな拗ねた表情を作った。
「まあ、ピートの事なら分からない事なんて無くてよ。……それにしても、何で狸寝入りなんかしてたワケ?」
 ウインクしながら冗談めかして言うと、ピートは、真っ赤になって心持ち俯く。その、いつもと同じ―――以前と同じ反応に、どこか安堵のようなものを覚えながら、エミは、キ、とパイプ椅子を鳴らして座り直すと狸寝入りの理由を尋ねた。
 相手が看護婦や医者―――もしくは、何かと事件の事を聞きたがる捜査員達だったと言うならまだ分かるが、先ほど、この部屋に来ていたのはキヌだ。
 宿題や明日の予習、友達との約束や、自分のやりたい事もあるだろうに、放課後の自由な時間を使って、こまごま様子見や世話焼きに来てくれるキヌを、あえて無視して寝たふりを続ける理由など、普段のピートの性格を考えればまず思いつかない。
 ピートの方も、さすがに悪いとは思っているのだろう。
 しばらく、言いにくそうにぽりぽりと頭の後ろを掻いて黙っていたが、やがて、エミがふとピートの顔から視線を外したその瞬間に、ぽそっとした声が聞こえた。

「―――……何か、人といるの、辛いかなあ、って」

「…………」
 さらりと。
 さらりと―――あまりにさらりと、何でもない呟きのように言い流された言葉の意味するところが、瞬間、理解できずに、エミはハッとピートの顔に視線の焦点を戻した。
 ひどくとんでもない事を言われた気がして、軽く目を見開いたままピートの顔を凝視するが、すでにピートの顔は、彼が時折浮かべている、苦笑のような微笑のような穏やかで曖昧な笑みに覆い尽くされていて、彼が先ほどの言葉を呟いた時、どんな表情をしていたのか匂わせるものは一片たりと残っていない。
 エミと目が合うと、ピートはますます目尻を下げて、明るくニコッと笑った。
「……冗談ですよ。本当は、病院や警察の人と話すのが嫌なんです。僕は覚えてないって言うのに、加奈江さんはどんな様子だったとか聞いてくるし、病院の先生も、カウンセリングとか言ってやたら聞いてくるんですよね。おキヌちゃんには悪いですけど、起きてたら見舞いの最中だろうが何だろうが、診察とか言って来ますから。だから、看護婦さんの問診もほとんど寝たふりで誤魔化してます。さすがに、小竜姫様達が来てくれた時はそうもいきませんでしたけどね」
 にこにこと笑いながら話すピートの表情は、自分のイタズラをどこか誇らしげに内緒で教えてくれる子供の顔―――に、似ているような気もするが、やはり何かが違った。
 ―――違う。
「寝たふり、得意なんですよ、お医者さんも警察の人も全部誤魔化しましたからね」
 ―――違う。
「隊長さんだって騙せたんですから。あ、勿論、狸寝入りだったって事は内緒ですよ。先生にもね」

 ―――……違う……―――!!

 にこにこと、『笑顔』で喋るピートに、「違う」と一言そう叫びたい衝動に駆られる。
 しかし、叫びとなって喉を駆け上がったその衝動は、喉の途中で結局言えずに掻き消え、そして、その代わりとでも言うかのように、腹の底に溜まっていた重たい疑問の念が、ゆっくりと胸の内から湧き上がってきた。
 それは、寝たふりをしていた事よりも、ずっと―――この病室に入って来た時から―――いや、ピートの見舞いに行こうとした時から、聞こう聞こうと覚悟して持って来た疑問だった。
 「違う」と叫ぶ代わりに、ぎゅっと唇を噛み締めると、膝の上に置いていた手を握り締める。
 そして、なるべく声が掠れたり、震えたりなどしないように、腹にぐっと力を込めると、エミは言葉を切り出した。
「……ピート……」
「はい?」
 呼ばれて、エミの方に目を向けるピートの顔には、明るい笑顔。
 綺麗な容貌と大きな青い瞳のために、見た目同い年のそこらの少年よりも、ずっと明るく無垢なものに見えるその笑顔に、エミは一瞬、繋ごうとしていた言葉を続ける事をためらったが―――
 意を決し、ギチッと関節が鳴ったのが聞こえるほど強く手を握り締めると、エミは、ずっと腹に抱えていたその疑問を、ピートに投げかけた。

「……あんた。本当は、覚えてるんでしょ?ピート」

 ギチッ、と。
 強く握り締めた手の関節か筋かが、軋んだような音を立てる。
 そして、それと同時に、こちらを笑顔で見つめていたピートの、顔に並んだ大きなマリンブルーの瞳が一瞬、僅かに眇められたような気がして、エミは、ゴクッと唾を飲んだ。
 ひどく緊張しているせいで喉が乾ききっていたのか、グッと飲み込もうとした唾は、中ほどで引っ掛かって嫌な感触を残した。
 瞬時にして居心地が悪くなったように感じられる部屋の空気と、喉の中からくる気持ちの悪い感触の、その両方に責められているような気がして、心持ち俯いたエミの耳に、先ほどまでは全く気にならなかった病室の掛け時計の音が、妙にはっきりカチカチと鳴って聞こえた。

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