ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(20)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/11/17)

「……まあ、だから私も素直に、と云う訳では無いのだが……。」
テレサの目の前にある、カオスの手がモジモジとせわしなく動く。
「……あ、あのな、さっきの物語なんだが……実はアレ、ウソなんだ。」
「えっ、ウソって……?」
カオスの腕の中で小さく金髪が跳ねた。
「あ、いや、全部が全部ウソだったという訳では無いぞ。あの、最後のセイレーンに切り掛かったという所なんだが……その、実は切ってなどおらん。」
「へぇ?」
つまり、テレサが大泣きした箇所である。
『と云う事は、さっきのあの涙は、一体なんだったの?』
羞恥よりも憤怒の念に耳まで赤くなったテレサは、カオスの鼻っ柱に噛み付かんと首をぐるりと巡らせた。
「カオス様、それは一体、どういう事なの!?」
「わ、ちょ、一寸待て! 流石の私でも、奴の身の上話を知ったと有っては、そこまで非情には成れまいて……」
「そんな事を訊いてるんじゃ無いの!」
テレサの一喝の前に、カオスは惚けた面構えのまま凍り付く。
テレサの顔から徐々に怒気が薄れ、……再び悲しげな影が差してくる。
「どうしてそんなに悲しいお話にしたの? どうして始めっから本当の事を話さなかったの?」
涙はもう涸れてしまったのか、ハの字に寄った眉の下には微かに瞳が潤んでいるだけ。
カオスは不意の喉の喝きを抑えるべく、音が立たないようゆっくりと唾を飲み込んだ。
「そ、それはだな……この手の物語の結末と云ったら、ほれ、化物は退治するものと相場は決まっておるだろ。それに私も男だから、その方が格好が付くと思ってな。あと……。」
「あと?」
ここでカオスは再び、唾を飲んだ。軽い咳払いの後、僅かに視線をテレサの瞳から逸らす。
「……あと、初めて聞かせた私自身の体験談が、またいつもの様に袖にされるのが、怖かったのかも知れん……。」

この世界に対する探究心は全く衰えてはいないが、そこは自分の存在意義というものを社会たる他者に依存しがちな人間というもの、漠然たる野望や自己満足で収まりきれるものでは無い。充実した人生を送ってきた老人であったならば諦めきれるかも知れないが、老いを忘れた不死身の身体には自身の存在に対する漠然たる不安が『永い一生』の間、常に付き纏ってくる。
研究に夢中になっている間はその様な心配は忘れてしまえるが、いざそこから離れてしまえば昼夜を問わず不安感は音も無く忍び寄ってくる。更に研究に没頭する為に必要最低限の付き合いを残して殆ど人の輪から遠ざかって、はや三百年が過ぎようとしていた。
『三百年生きたきた結果としての自分の人生が、運命の気偶れで巡り会った先行きの短い一人の少女の心の扉を、これっぽっちも開かせる事が出来ないのでは……。』
テレサの関心を惹く為に様々な物語を語って聴かせたカオスであったが、自分自身の話題だけは半ば意図的に避けてきたのだった。

「……それにしても、あそこまで感動してもらえるとは思わなかったな……」
カオスの視線が、ふらふらとテレサの上で迷う。カオスの腕に収まる程に小柄な身体ながらも、見上げた青い瞳に強い意思の光が宿っている。
カオスは薄く笑うと、更にテレサを抱き寄せて、その頭を右手で撫でてやる。
最初ぴくんっと反応したたテレサだったが、すぐに借りた子猫の様に大人しくなった。
「……やはり、母君の面影が、自分と重なったのかな?」
「……うん。」
テレサは顔を上げたまま、顎の先で小さく頷く。
「……父上の日記を見てしまったそうだな……その、さっき、姉君から聴いたのだが。」
「……マリア姉さん、知ってたんだ……。」
テレサの中で、マリアの笑顔と、想像の中にだけ存在している母の笑顔が、ぴたりと重なり合う。
テレサの瞳の虹彩が、納得したかの様に微かに揺らいだ。


長年の闘病生活に自暴自棄に成りかけていたテレサに止めの一撃を放ったのが、久々に訪れた父の書斎で偶然見付けた、一冊の日記帳であった。
「『森人』研究日誌」と題されたそれは、テレサには顔すら分からない母が父に出会ってから、やがて死に至るまでの顛末を詳細に書き綴った、一人の男の欲望と後悔の記録であったのだ。

『……これも神の巡り合わせか! とうとう私は彼らに遭遇する事が出来たのだ! ……』
趣味の研究の為に入り込んだ森の中での、父と母との初めての出会いを描いた箇所は、研究者としての瑞々しい興奮と、美しい『森の人』である若き母に対する仄かな好感が素直に書かれている。
そう、彼女は人間では無かった。そして彼女と将来を誓った者もまた彼女と同類だった。
日を追う内に日記の話題は客観性をなくしていく。初めの内は研究対象として彼女に接していたその視点が、容姿、頭脳、気立て、心映え、仕草、声、匂い……そして笑顔へと移っていく。およそ万人向けの研究には貢献しそうに無い部分が、日記の大勢を占める様になった。
しかし、彼女の傍らに居るのは、彼では無いのだ。
『……大丈夫、神に祝福された自分の才能を信じるのだ。この方法ならば、確実に奴らを……』
何時の間にか、彼女を自分のものにする為の算段を企てている男の姿がある。この箇所で男は自分自身の頭脳と才能をひたすら賞賛する。しかし、いざその企みを実行しようとする処では、学術的探究だの本能的欲求だのと言葉を弄して自己を正当化し始める。
しかし、最後の最後で良心の苛責が彼を呵(さいな)み、計画の実行を思い止まらせるのだ。
そうした葛藤をひたすら繰り返すばかりの日々が、永遠に続くかの様に感じられた。
しかし、パンドーラーの函が開け放たれる日は訪れた。
『……とうとう、やってしまった……果たして、本当に、これで良かったのか? ああ神様、どうか私の進む道を明かるく照らして下さい。……』
男の計略により、彼女は森に帰る資格を永久に失った。だが計画を実行した後になると、今度は一転して神への懺悔の言葉が幾行にも渡って書き連ねられる始末。
男の真摯な説得の末、森を追われた彼女は男と共に生きる事を選んだ。領地自体は小規模であったが、若い二人の生活に暗さや貧しさは無かった。
そして、二人の可愛い娘たちに恵まれる。
初めの年に生まれたのは、勝気な父親似のマリア。
その三年後に生まれたのは、理知的な母親似のテレサ。
もう一人、跡継ぎとなる男の子が欲しいと、笑い合う夫婦。
しかし、あくまで彼女は帰る森の無い『森の子』であった。その様に生まれた以上、森からの依存を完全に断ち切る事は出来ない。
この地で所帯に入ってからの彼女は、水溜まりが干上がるようにみるみる痩せ衰えていった。二年程で、寝室で一日を過ごす事も珍しくは無くなってきた。
しかし男は妻を失うことを惧れ、彼女が森に近付く事を許そうとはしない。
『……あいつを森に近付けてはならない。いずれにせよ森から見放されたのだから無駄な事なのだ。しかし……。』
その後も嘗ての様に正当化と懺悔の言葉が繰り返される日々。只違うのは、妻を失う事になる可能性に対する、恐怖にも似た不安感が加わっている点だ。
テレサの出産の後も肥立ちが悪く、彼女の容態は悪化の一路を辿っていった。
星空も霞むような煌々とした満月の夜、家族と家と領地の事を心配しながらも、最期まで優しい微笑みを絶やす事無く、静かに彼女は逝った。
妻が逝ったその朝の日付の日記。
『……破滅させてしまったのがこの私だと、あいつは気付いていただろうか。あの曇り一つ無い空を映した様な瞳は、恐らく全てを見透かしていたに違いない。ならば猶さら私には、最期まで私たちに向けていたあの無垢な微笑を受ける資格は無いのだ。神よ、願わくば母に先立たれた不憫な娘たちにはお恵みを。娘を残して逝った心細き魂にはお慈悲を。そして、貴方のこの愚かな子羊には末世まで続くご神罰を。斯く有れかし。』
十数頁の余白を残して、日記はここで終わる。

母の血を強く受け継いだテレサの病状は、日記に記録されていた母のものと似ていた。

部屋に戻ったテレサの元に、時間通りに父が訪問してきた。
何故か、父の前で無関心を装うのは難しくは無かった。
ただ去りゆく父の背中が、この時初めて小さく見えた。


父の背中の残像が、目の前からなかなか消えない。
殺那、不意に浮かび上がった疑問が、微睡みかけていたテレサの意識を呼び覚ます。
残像の正体は、逆光気味のカオスの陰だった。

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