ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(19)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/11/ 9)

あたかも時間が止まったかのような静寂の中、テレサの泣きじゃくる声だけが部屋に響いていた。
カオスもマリアも、急なテレサの感情の発現を前に戸惑いを禁じ得ない。情けないことに二人とも椅子に張り着いたまま、おろおろと手を拱(こまね)くばかりだ。
「……だめ、だよぉ……そんなひ、どい、ことするなん、て……」
テレサは所々しゃくり上げながらも一言一言を搾り出すように、懸命に言葉を紡いでゆく。顔はもうぐしょぐしょで、普段の大人びた表情は微塵も感じられない。しかしその言葉は何時もの冷ややかな物言いより遥かに感情的で、そして説得的だった。
「……そのひ、と、かみさ、まのせいでかい、ぶつになっ、ちゃって、すきなひとにあ、えなく、なってさびしかっ、たのに、そんなかわ、いそうな、ひと、をころしちゃ、だ、め……。」
テレサは下を向いたまま、力無く自分の肩を抱いていた手を緩める。すると突如膝立ちになり、呆然としたカオスの方へとしなだれかかってくる。慌ててカオスが彼女の身体を受け止めようとすると、それよりも早く彼女の方から上着の襟に掴まってきた。
見上げるテレサの眼は涙に濡れてはいたが、純粋な怒りの炎が燃えさかっていた。
「なぜ、どうして、そんなひどいことが、できるの! わるいひとだから?
かいぶつだから? じゃあどうしで、めがみはそのひとを、かいぶつにしたの?
なんで、さけのかみのほうは、たすけてくれなかったの? わかんないよぉ、
わかんないよぉ……」
病身の少女にしては強い力でかくかくとカオスの上体が揺さ振られる。未だ戸惑いの冷めやらないカオスは言葉を発する暇も無く、彼女の行為の前に只為すがままだ。
テレサの乱暴を止めるべく、マリアは彼女の背後に回り込み、妹のか細い両肩を後方へ引き寄せる。虚を突かれたのかテレサの手はカオスの上着から離れてしまった。テレサは必死に身体を捩るが、この戒めから抜け出すのは体力的に困難である様だ。
「テレサ、いい加減にしなさい!」
姉の一喝に、テレサは右肩越しに腫れた瞳で後方を睨み返す。その瞳にははっきりとした反抗の意思が宿っていた。その視線に負けじと睨み返すマリアの腕にも自ずと力が籠もる。
「はなしてよ、マリア!」
「いいから手を放しなさいテレサ! カオス様に失礼でしょ!」
「なによ、ひとよりすこし、はやくうまれたからって、いばらないで!」
「威張ってなんかいないわよ。早く言う事を聞きなさい!」
「いや、ききたくない! ははおやみたいなかお、しないで!」
「!!」

ぴしっ。
乾いた摩擦音と共に、姉の右手が妹の左頬を鋭く掠めた。
「…………。」
妹は赤く腫れた頬を隠そうともせず、まっすぐ姉を睨んだまま。
「……っ!?」
姉の方は顔色を蒼白くさせて、払った右手を硬直させたまま。

そしてテレサの唇がゆっくりと、薄ら笑いの様な形に歪んだ。


直後、彼女は普段よりも一段と激しい発作に見舞われた。



しゅるるるるるるるる……、ごごごごあっ。
穏かなせせらぎに混じって、ヒキガエルの鳴き声がが聞こえてくる。
『ここは、三途の河……それと、カエル……?』
テレサの目の前は、真の闇。自分の鼻先すら見る事は叶わない。
日頃からある程度覚悟はしていたが、これでは渡し守どころか肝心の河すら見る事が出来ない。どうせ一生(?)に一回くらいの事なので、出来る事ならばじっくり見ておこうと思っていたのだが、まさかこんなに暗い所だとは思ってもみなかった。向こうからはこんなに爽やかなハーブの匂いが漂ってきているというのにその正体が突き止められないのは本当に残念だ。
『ん? 爽やか、ハーブ……三途の河…… え?』
出来の悪い言葉遊びに付き纏う違和感は、少女の頭脳を睡眠状態から開放するのに十分なインパクトを持っていたらしい。
彼女の瞼は、いつの間にか開いていた。

正面には見慣れた天井が、枕元のランタンの光を受けてぼんやり光っている。
何時もの習慣通り、窓の方に目が動く。厚手のカーテンの隙間から漏れてくる光点は皆無。つまり、まだ日は昇ってはいないらしい。
しゅるるるるるるるる……、ごごごごあっ。
また河のせせらぎとヒキガエルだ。
視線を窓とは反対側、音のする方へと滑らせる。
しゅるるるるるるるる……、ごごごごあっ。
……腕組みしたドクターカオスが、椅子の上でゆるやかに櫓を漕いでいる。しかも鼻提灯のおまけ付きである。せせらぎとカエルの正体が、彼の呼吸の音と鼾(いびき)であるのは確実のようだ。
彼の呼吸に合わせて、本物のカエル宜しく鼻提灯が伸縮する芸の細かさである。
真相を知った途端テレサは急に腹立たしさを覚え、最大に膨れ上がった『カエルの腹』を人差し指で弾いてやる。
ぱぁぁんっ!
「ふがあっ?」
憐れカエルの腹は破れ、その勢いでカオスの惚け面がそっくり返る。
彼は見事椅子ごと、そのまま後ろからぶっ倒れた。


「あたたたた、一体、何ごと……と、おお、目を醒まされたか、姫。」
後頭部をさすりながらカオスが顔を上げると、チカチカ点滅する星々に混ざって、テレサの驚いたような呆れたような表情が見えた。やはり顔色は悪いものの様子は落ち着いている。ランタンの油に混ぜた新調合のハーブオイルの効果は覿面(てきめん)の様だ。
照れ隠しもあってか、カオスは道化師の様に大袈裟に患部をさすっては顔を顰(しか)めてみせる。
「いやまあしかし、あんな姫の泣き姿が見られるとは、正直、望外の収穫であったな。」
「…………!!」
テレサは一瞬目を剥き、ついと顔を背けた。邪魔に成らぬ様に軽く束ねた長髪が微かに煌めく。
「普段のツンとすました、『わたしはなんでもおみとおしなんですのよ』とでも言いたげな大人ぶった態度からは想像も付かん、それはそれは見事な大泣きっぷりだったのぉ。」
「………………。」
顔こそ見えないが、テレサの身体が静かに震えている。
それを知ってか知らずか、醜態を晒してしまった事への返礼と言わんばかりに、カオスの声には態(わざ)とらしい程に厭味な抑揚が付けられていた。
「それに、お前さんはガチガチの鉄面皮だと思っておったのに、まさか元人間とは云え異教徒であった娘の魔物の、筋としては有り来たりな物語に対して、あそこまで共感をみせるとは……。」
「………………。」
テレサは下唇の筋肉に力を込めて、必死で何かを堪えている。

自分は、あのセイレーンと同じだ。
運命という名の潮流に翻弄される、濡れそぼったセイレーンの群れ。
潮流に逆らおうと藻掻くたび、大波が容赦無く彼女等を傷付けてゆく。
翼を乾かす為に流木に掴まろうにも、仲間を押し退けなくては、それもままならない。
それならばいっそ、このまま流れの中に身を委ねて、身の果てるまで……。

冷えきったテレサの両の翼を、黒い温もりが包み込んだ。
「……なんと、優しい感性を持った、女の子なんだろうな。」
「……!!」
うって変わって優しい調子のカオスの声。思わずテレサは息を飲む。
テレサは反射的に、背中から廻されてくる腕を拒絶しようとしたが、出来なかった。
心に満ちていた寒さに身体が硬直していて、思い通りに動けなかったから。
それに、背中を支える暖かさに、不思議と抗い難い引力を感じたから。
手袋をしたカオスの両手が、テレサの胸の前でぎこちなく合わされる。
「……その、他人に余計な気遣いをさせまいと態とつれなく振舞おうとするのは、確かにお前さんの優しい気持ちから出たものなのだろうが……それは、お前さん本来の優しさとは少しばかり違うのでは無いかな?」
「…………。」
廻されたカオスの腕に力が込もるのを、テレサは感じた。
「人間、やっぱり素直に笑ったり、怒ったり、……泣いたり、苦しんだりするのが一番だ。そうしていた方が、絶対好い。お前さん自身の為にも、皆の為にもな。」
周囲に惑わされず、何の衒(てら)いも無く素直な自分自身を見せられるのは、子供たちにこそ許された特権。その権利を妨げる事は何人も、無論本人にも出来無い筈だ。

『そういえば、「みんなに迷惑かけない」って決めた日からだ……お父さまがあんまり部屋に通わなくなったの……。』
頑なな態度を取る様に成ってから一番効果が現れたのが父であったので、この辺りの事は鮮明に思い出せる。それ以来、一層この態度を強化しようと誓うように成るのだが、どういう事かこの作戦に唯一人屈しなかったのは、姉のマリア姫だけだった。
『みんなを傷付けない様にしていたはずだったのに、本当はみんなを傷付けていたの?
お父さまも?』
瞼の裏に、肩を落とした父の後ろ姿が浮かんでは消える。代わりに浮かんできたのは姉の、欝陶しいだけの、いつもの素朴な笑顔。
『……マリア姉さんも傷付けてた? なら何で、いつもあんなに笑って、あんなに話し掛けて、いられるの……?』
傷付けられている者が傷付ける者に見せる笑顔の重みは、テレサ自身が一番良く知っていた筈なのに、自分はそれを否定してしまった。でも姉がいつも自分に見せていたのは正に、その笑顔だったのだ。
打たれて以来顔を見ていない姉の笑顔が、無性に腹立たしく、愛しい。

「……ふーぅ……。」
テレサは先程飲み込んだ空気を、万感の思いを籠めてゆっくりと吐き出した。薬品とハーブ、それと父に似た香りを纏う温もりの中で、テレサを強張りは嘘の様に消え失せていた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa