ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(18)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/10/27)

……コン。
硬い物を小突くような音で、カオスはふと我に帰った。
何とした事か、椅子に座ったまま気を失していたらしい。ここ3週間の寝不足が漸くこの不老不死の肉体にも響いてきたか。反射的に袖で口元を拭うが、幸い涎を垂らしてはいないようだ。
ここはテレサの寝室。今この部屋の奥、薄手のカーテンに覆われた窓際に置かれたベッドにはテレサはカオスにそっぽを向けて、もう暗くなった窓際をじっと見積めていた。
カオスの方はそのベッドの横に置かれた椅子に腰掛けている。
『どうやら、今日も駄目だった様だな……。』
もう何度このセリフを繰り返したのだろうか。その度に両肩にのしかかってくる疲労感は日に日にその重みを増すばかりである。
コンコン。
「……あの、カオス様、テレサ、いらっしゃいますか?」
遠慮がちなノックの後、扉の向こうから若い女性の呼び声が聞こえてくる。
「あ、ああ、私も妹君も居るぞ。入りたまえ。」
……カチャリ。
扉がゆっくりと開いた。テレサの寝室に入って来たのは、悪戯っ子の様な微笑を湛えて、赤系統の普段着に身を包んだ少女……テレサの姉、マリア姫だった。こちらは父親の方に似ているとやらで、テレサと比べて線のはっきりとした顔立ちをしている。幼い頃より良く剣術を嗜む男勝りな面もあり、典型的な女の子然とした妹とは、はっきり言って似ているとは言い難い。
この対照的な姉妹の唯一の共通点は、頭髪を腰まで垂らしているという事ぐらいであろうか。ただしテレサが真っ直な金髪であるのに対して、マリアの方は少々癖の付いた亜麻色である。
カオスは、マリアの後ろに控えている大きな台車を室内へ引き入れるのを手伝ってやると、軽く一礼した。
「それでは、私も食事を済ませて……。」
「お待ち下さい、カオス様。実は、三人分持ってきてるんですよ。一緒にどうぞ。」
心底愉快そうにそう言うマリアが、台車を覆うナプキンを大袈裟に剥ぎ取ると、そこには都合三人前の夕食が用意されていた。パンにバタァ、野菜と卵のスープ、野苺の実……特にスープは鍋の蓋の隙間から暖かな湯気を漏らしている。カオスは遠慮の文句を言う暇を失って、鯉の様に口をパクパクさせた。
マリアは日に二度ほど、テレサと自分の食事をこの寝室に運んでくる。姉妹の食事中には、食堂で食事を取るなり庭を散歩するなりして時間を潰すのが彼の決まりであったので、この様に二人の食卓に同席するのはこれが初めてなのである。
台車をベッドの横に着けると、マリアは台車を狭んでベッドの向かい側に椅子を置き腰掛ける。テレサは台車が自分の正面に来る様に、ベッドの上で謂わゆる女の子座りになる。台車がそのまま食卓になるという寸法だ。カオスもベッドの足側に椅子を移動させて着席した。
短い祈りの文句の後、夕食が始まった。マリアはその日に村の中で起こった何とも他愛も無い出来事を笑顔混じりに語り始めるが、テレサの方はにこりともせず只黙々とパンを口に運ぶ許り。全く愛想の無い妹の反応に対して姉が少しも動じた様子を見せていない処から判断するに、どうやらこの奇妙な会食が姉妹の『日課』であるらしい。
「……で、その後どーなったと思う?」
「………………」
「何とバレちゃったのよ。何でも隣の家の悪戯っ子がね、……」
元気良く一方的に喋り続けるマリアに対して、テレサは誰とも目を合わせようともせずに食物を咀嚼するという行為にひたすら集中しているように見える。しかし歳不相応に斜に構えている普段のテレサと比べると、今の彼女は実に自然な十歳の少女の姿に見えた。暖かいスープの所為か?朱の差してきた目元、食べ物を含んでいる所為か?ちょっぴり膨れた頬、苺の酸味の所為か?寄りがちな眉根。どこかしら不機嫌そうに見える彼女の食事の様子は、普段の年齢不相応に超然としているテレサからは引き出せないだろう人間的な表情を垣間見せてくれて、何とも新鮮な驚きをカオスに齎(もたら)したのだった。

「……ォス様。……ねえ、カオス様?」
「……は、はひ! 何でしょおか、マリア姫?」
カオスはテレサの横顔に向いていた顔を、慌てて反対側のマリアの方に切り替える。
マリアは頬のあたりで跳ね返えった癖っ毛を左手の人差指で弄りながら、何処か寂しげな視線を食卓に落としている。
「あの、わたしばかり、つまらない話をしていても、いけないかなって。」
「あぁ、いやそんな、なかなか、素朴で愉快なお話でしたぞ、ああ、うん。」
みえみえの嘘だった。テレサの事が気になる余り、マリアの言葉は殆ど彼の耳には届いていない。その上この明から様な慌てぶりである。カオスが全くの上の空であったのにマリアが感づいているのは、彼女の様子や発言からも明きらかである。カオスは咄嗟とは云え軽率であった自分の口を呪った。
「ですから、今度はカオス様の番です!」
「……は、はあ?」
しかし勢いよく揚げられたマリアの顔からは、どんな憂いの陰も見られなかった。
マリアは妹よりやや黒目がちな瞳を煌めかせて、胸元で両の掌をにぎにぎしく組む。
「今度はカオス様が、何か面白いお話を聴かせて下さい! もう300年も生きておられるんですもの、きっと色々な冒険を経験してらっしゃるんでしょう?」
「あ、ああ、勿論その通りだが、しかし……。」
テレサ相手に物語を聴かせても禄な感想も貰えていない最近のカオスは、語り部としての自分の才覚に対して自信を失ってきていた。しかし、厚い期待の籠もった一少女の視線を無視できる程、彼も野暮な男ではなかった。カオスは半ば無意識にスーツの襟を整えると、一つ咳払いをした。
「おっほん。して、如何様な話を聴きたいのですかな、マリア姫?」
「そうですね……それではカオス様が『地中海の魔王』を名乗る事になった切っ掛け、というのは? 実は以前から気になっちゃってて、ね、テレサもそうでしょ?」
「……。」
どこか気遣わしげな二人の気配を察したのか、無言のまま、テレサの食事の手が止まる。彼女は相変わらず不機嫌そうに皿を睨んでいたが、程無くして何事も無かった様に補食運動を再開した。
それを是と判断したマリアは笑顔を崩さぬまま、視線をカオスに戻した。
「それでは、お話、してくれますね?」
「ああ、分かりました。では……ほんの暫しの間皆様のお暇を頂戴致しまして、この私ドクターカオスが『地中海の魔王』の名を戴いた顛末をばお聴かせ致しましょう。その名も『イタリアはナポリにてセイレーンを退治るドクターカオスの事』、あ、始まり始まり〜〜!」
幸い未だテレサに聴かせて……というより無視されていない話題である事に安堵したのか、それとも久々に他人からリクエストを貰ったのが嬉しかったのかは分からない。
何時になく芝居めかした調子でカオスが前口上を述べると、マリアは胸の前で手を叩いてはしゃぎ出した。テレサの方は我関せずの様子は変わらないが、『魔王の名を戴いた』というあたりで一瞬手が止まった様に見えたのは、カオスの気の所為だろうか。

ここで、カオスの話の要約を記す事にする。
北アフリカ周遊旅行からの帰りに立ち寄った港町ナポリ近海では、漁船や商船が行方不明になる謎の海難事故が多発していた。人的被害や物質的損害が深刻であるのは勿論だが、他国の船籍の船まで失踪しているのが何とも厄介な話である。このままでは内外から非難を浴びるどころか、下手すれば大国をも巻き込む大戦争にも発展しかねない。
この事件にオカルトの臭いを感じとったカオスは、この町の記録を片っ端から調べ上げた。そこで彼が注目したのは、かつてこの地に一体のセイレーンが漂着したと云う事実だ。海難事故とセイレーン……分かり易過ぎる符号の一致。カオスは早速セイレーンの埋葬地へと向かうが、やはりそこは蛻(もぬけ)の殻であった。
カオスは更なる手掛かりを得る為、このセイレーン……「乙女の声持つ」パルテノペーについて調べてみる。彼女は元人間であったが、惚れた男を追って南イタリアへと移住した。そこで酒の神の信徒となったが、それが美の女神の逆鱗に触れてしまい、女神の呪いによって下半身を鳥の胴体の怪物セイレーンに変えられてしまう。その後彼女はイタリアを離れてとある島に辿り着き、他のセイレーンたちと一緒に行き交う船を沈めるなどの悪業を働いていたが、ある英雄に敗北して海に身を投げる。そして瀕死の身体で今のナポリに漂着し……。
カオスは一人、カオスフライヤー一号改(高速ボート仕様)を駆り、問題の海域で復活したセイレーンと対峙する。

「……そこで奴は、私に向かって高さが10メートル、幅が1キロメートルはある、とてつもない大波を放ってきおった……! (どばばばばばばばば!) しかしそれしきの攻撃に怯む私ではない! 私はカオスフライヤー一号改(高速ボート仕様)を果敢にもその大波へ真っ直ぐ向かわせると、接触する手前ですかさず舵輪を取舵方向に廻した! (ぎゅるるるるんっ!) すると……見よ、その壁の様な大波の上を私のカオスフライヤー一号改(高速ボート仕様)が滝を昇る鯉の如く……否、龍の如く昇って往くではないか! (ずごごごごごごごっ!) そして、万里の長壁を昇り着いた先には、彼奴めセイレーンの驚く姿! 私はカオスフライヤー一号改(高速ボート仕様)のシートの上で仁王立ちすると、腰の曲刀を華麗に抜き放ち、彼奴めにこう言ってやったわ……『ふっ、少々はしゃぎすぎた様だな、セイレーン……三途の河の渡り賃、釣りは惜しいが取っておけ!』 ……そしてそのまま勢いに任せて、私は彼奴の懐に

「やめてーーーーーーーっっ!!!」
かちゃん、かちゃん

聞き覚えの無い絶叫が、突如部屋の空気を震わせた。
遅れて食器が床に散らばる音が続いた。
自分の世界に完全に没入していたカオスも、流石に我に帰る。
マリアの顔を見たが、物語の興奮に頬を染めたまま、彼女は首を横に振る。

すかさず視線を滑らせた先には、自身を抱きしめる様な格好で小さな肩をぶるぶると震わせたテレサの姿があった。
顔面から溢れた液体が、嗚咽と共に雫となって膝の上に零れ落ちる。
「おねがい……そのひと、ころしちゃだめだよぉ……」

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