ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(17)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/10/20)

* * * * * * * * * * 生まれつきに難病を背負ってきたテレサは、人前で辛そうな顔をした事は一度とて無い……少なくとも彼女の『主治医』であったカオスは、そのように記憶している。
その逆に、まともな笑顔を見せられた事もまた無い……心配を懸けまいとして作られる笑顔と云う物が、時として周りの者を傷つけてしまうと云う事を、この十代に成りたての、殆ど自分の部屋から出た事の無い少女は我が身を以って存分に経験していた……予期された結末が絶望的であればある程、無言の思い遣りは優しい刃物となって彼女を撫で付け、当の『加害者』の自覚を伴わないまま深くゆっくりと傷口を抉ってゆく。
実際、テレサの屋敷にカオスが現われる迄に何人もの魔術師や占い師が彼女の治療の為に招かれては、その尽くが匙を投げてしまった。魔力が弱かったり、医学知識の未熟だったりした者が多いが、中には必要経費と称して金をふんだくったまま逃走する寸借詐欺紛いの輩もあったと謂う。そして、医者が替わる度に愛想が良くなっていったであろう使用人たちの殆どはテレサの要請により、程無くして暇を出されるのである。
ドクターカオスも、そんな香具師同然の連中の一人となる、筈であった。

「(ほう、随分と薄暗い部屋だな。)よぅ、私が今度からお嬢ちゃんの病気の面倒を看る事になった、人呼んで『地中海の魔王』ドクターカオスだ。」
「……………………」
「(ふむ、聞きしに勝るつっけんどんだな。)おやおや、お顔もお召し物もどうして仲々美しいものだが……何だ、返事が無い処を見ると、どうやらそこに居るのは只の人形の様だな?」
「……人形でも結構だけど、一応は礼儀だから……テレサです、初めまして。事情は父から伺っている筈です。このわたしの病気、治せる物だったら治してみて。」
「(ははあ、そうきたか。ならば、)おっほん、なあに、不老不死さえも極めて凡そ300年、この欧州に私に及ぶ導師は居らぬが故に近々『ヨーロッパの魔王』を名乗ろうと考えておるこの私の手にかかれば、例え人形の病気ですらも治してご覧に入れるわい。」
「……『名乗ろう』って事は、やっぱり始めの『人呼んで』ってのはウソなんでしょ? 『地中海の魔王』なんて名前、一度も聞いた事が無いんだもの。さっきはそれが気になって、お返事が遅れたの。今日はもう遅いから、お先に失礼するわ……おやすみなさい、自称・ちかぢか『ヨーロッパの魔王』さん。」
「………………(うぬぬぬ、こんのクソ餓鬼!)」

人前でテレサが見せる表情……それは『無関心』であった。カオスも、初めの内は重度の人見知りの所為かと思っていたが、どの使用人達に対しても同様の態度を取り続けている事から、これが彼女の普通なのであると理解するのにさほど時間は掛からなかった。
その表情には感情が欠けていた訳では無い。寧ろその口元にはモーナリーザ宜しく、微笑みが絶えず湛えられている。目元、鼻筋、口元、耳朶、首筋……三つも歳の離れた姉と比べても幾分大人びた、母親似であるらしい顔付きにはその微笑が好く似合ってはいたが、深海をそのまま宿したような色彩を持つ両の瞳は、他人と言葉を交わしている間も絶えず虚空を彷徨い続けていた……間もなく去りゆくであろうこの世界をその瞳に焼き付けない様に、そして残った人々と距離を置く事で、彼らを傷付けない様に。


この地に来てから一週間目の夜更け、カオスは以上の様な分析を行うと、両手で枕を作って藤製のカウチの上に横になった。
ここは、この村の外れにしつらえられた、小じんまりとした『ラボ』の中である。
普通客人は屋敷の方に泊まるものだが、今回はカオスのたっての希望で農作業用の仮小屋を改造して研究室としたのだ。これならば昼夜を問わず実験に専念が出来る、という訳で小屋の中には実験器具やら書物やら紙屑やらがあちらこちらに所狭しと散らばっている。まさに混沌(カオス)である。
カオスは天井のランタンの明かりを睨みながら、枕代わりの手で後頭部をぽりぽり掻いた。
『ああ、駄目だ、駄目なんだよ、これでは間に合わん……。』
医学書という医学書を虱潰しに調べあげて、病気そのものの特定は出来た。幸い治療法も判明している。しかし、そこまでが彼の捜査力の限界だった。
錬金術師として売り出し中のカオスは、今現在貧乏である。さもなくばこの様な知名度皆無の三流貴族の依頼など受ける筈が無い。非常に珍しい病気であるので、その材料もまた貴重であり、したがってこの病気を治す為の霊薬を合成しようにも、手元には材料が不足していた。
必要経費は領主家が負担するのでまあ心配は無い。しかしカオスが孤高の研究者である事が災いし、その材料を分けて貰えそうな同業者のコネは殆ど期待できないのだ。だからと云って自力でそれを探し出そうにも、見つけ出せる迄に何時まで掛かるか皆目見当が付かない物ばかりなのだ。
『サハラ砂漠に落ちたとかいうベツレヘムの星の破片など、一体全体どーやって、この僅かの間に見つけ出せと言うのだ、アヴィケンナ!!……もとい、ふざけんな!!』
カオスは苛立たしげに喉を鳴らすと、ワントゥーキックを足元の毛布に浴びせた。
これ迄の病歴と診察の結果、発作の回数などから厳密に検討してみた処、病状が本格的に悪化するのが8週間後。その後昏睡状態が2週間続き、そして……。
もはや猶予は残されていない。

『……そうだ、材料が欠けている分を私の魔法力で補う事が出来れば、或いは可能かも知れん!』
彼の錬金術師としての成功は、古くから連綿と受け継がれてきた魔術と、香具師連中が野心的に研究していた科学とを基礎学問的なレヴェルから合一し、双方の欠点を互いの利点で補うばかりでなく、さらに進んだ技術にまで押し推めた謂わばハイブリッドテクノロヂィを創始した処に拠るのが大きい。
その手法を用いれば、手持ちの材料だけで何とか病気を治せる可能性はある。カオスは微かな希望の光に瞳を輝かせた。そして徐(おもむ)ろに寝返りを打って、カウチの背凭(せもた)れに背中を預けた。
『しかし、その為にはお嬢ちゃんにも頑張って貰わなくてはいかんな……。』
医療の現場でも偽薬効果に代表される『ヒトのココロと病気の関係』が認知されてきている。だが理屈や捉え方は異るものの、そいした事実は古来より経験的に知られている処である。例えば我が国にも『病は気から』という諺が象徴するように、また病気という単語が『病める気』と解せられるように……そしてこの様な伝統的な考え方は今も猶、我々の生活に深く根差している。
魔術は、非常に精神的な要素が重視される技術である。
ほぼ事務的な遣り取りに終始してしまう、名ばかりのカウンセリングを通じてカオスが感じとったのは、テレサには『生きよう』と云う意思が欠落している事であった。物心付く前から病を患い、周囲の期待も空しく数々の医師に見放される事十年、この少女は諦める事に余りに慣れ過ぎてしまっていた。寧ろ煉獄--この世界--から一日でも早く抜け出したいとさえ願っているとすら思える節が窺えるのだ。彼女がこの様な精神状態では、幾らカオスが魔術に秀でていても、治療の成功率が大幅に低下してしまうのは必至だ。
どうにかして今回の治療の成功率を完璧にする為には、彼女に『生きる希望』を抱かせなければなるまい。家人にも出来なかったそれが出来るのは、ここには自分しか居ない。
『死者も同然の人形を生者たる人間にか……ピュグマリオーンも斯くやと言った処かな。』
顔には静かな笑いを浮かべてはいるが眼球には何も映さない……心を持っていない風に見せているテレサに対して、計らずも彼が言った『人形』というイメヂは強(あなが)ち外れてはいなかったと、彼は改めて確認した。
『いや、人形を人間に変化せしめたのはあくまで神の力であり、ピュグマリオーンは人形に似た人間の存在をただ願っていたのに過ぎん。それよりも人間という種を創出し、彼らに希望の炎を持たらした英雄プロメーテウスの方がこの場合は相応(ふさわ)しかろうか。』
「……しかしあっちはヴォランティア、こっちはこのボトルの残り程の自尊心と研究資金の為……全くとんだプロメーテウスだな……。」
独りきりの部屋の中で、カオスは苦笑い混じりにそう呟くと、机の上のボトルを掴む。寝転んだままで一週間振りのワインを喇叭(らっぱ)飲みすると、実に盛大に咽(む)せてみせた。


それからの日々は、悪戦苦闘の連続であった。
物心が付いた時から自室から殆ど出た事の無いテレサの趣味が読書であった事を、この屋敷で一番の古株使用人である料理長の口から聞き出すと、カオスは物語や詩文に語られる人生の素晴らしさや、旅行記に明かされた世界の秘密について長々とその魅力をテレサに説いた。すると、
「詩や物語に書かれてる女の生活なんて、男の作者の理想ばっかりで、もううんざり。 それに、多分……一生行く事の無い国を知った処で、一体何が面白いの?」
と返された。
彼女は随分前に自分の習慣から『読書』と云う単語を消去していた。
また、庭に咲く花を愛でるのが好きであったと屋敷で二番目の古株使用人である庭師に聞いて、早速花を何本か見繕って彼女の寝室へ行くと、
「せっかく庭で元気に咲いていたのに、観る為だけに折ってしまうなんて。」
と、ごく淡々とした口調で咎められた。
最近では一寸した刺激でも発作を誘発しかねないので、自由に庭先を散歩する事すら叶わないと云う。

『ああ、何でも良いのだ。兎に角何らかの関心を抱いてくれん事には話に成らん! この世界に存在するあらゆるものたちに、そしてその中に在る自分自身に……。』
そんなカオスの願いも空しく、テレサが一向に取り付く島を見せる素振りも無いまま、あっと言う間に2週間が過ぎた。

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