ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(69)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(00/10/19)

 「心は・いつも・貴方と・共に」

 滑らかなようでいて、どこか少しだけぎこちない声が告げる、遠い時の彼方からの伝言。告げるのは、記憶の中で密やかに眠るその伝言の主と瓜二つの顔と名前を授けられた少女人形。
 優しく、凛々しく、誇り高く―――人に与えられた寿命を、強く生ききった貴方。
 ―――時を越え、貴方の言葉を告げるのは、貴方と同じ姿を持った、永遠を歩む人形。

「―――永遠、か……」
 マリアを迎えに行こうと分け入った深い森の中。
 永遠、永遠と騒ぐ女の声を聞かされ続けて、何となく感傷的な気分になっているのだろうか。
 マリアを見つけた草むらの中、カオスは、小さな声でそう呟くと夜空を見上げた。
 ―――永遠、不老不死、変わらないもの
 自分が若かったあの頃―――今となっては、遠い昔であるその時代、そういったものを求める研究は、決して珍しいものではなかったように思う。
 闇を恐れ、天災や疫病を魔物の祟りと信じ、魔術を使う魔女や、カオスのように魔法科学の研究に専念する錬金術師達を、悪魔の使い、変人奇人と恐れ蔑み、時には迫害しながらも、人はその一方で、魔術が生み出す不思議な力に憧れていた。
 死が、現代よりもずっと容易く人の身に降りかかった時代だ。
教会の迫害から逃れてくる錬金術師や魔術師を匿ったパトロン達の中には、不老不死・永遠の生命を求めて魔術を優遇する者が少なからずいた。
 そして、カオス自身もまた、究極の英知を求め、そのための時間が欲しくて不老不死を目指した。
 ―――結局、それは完全なものではなく、長い時間の中、風化していく時間を引き延ばしただけに終わったが―――
「どうし・ました?ドクター・カオス」
「ん……。いや、少し、な」
 夜空を見上げ、黙ったままでいる自分が何を考えているのか気になったのだろうか。
 傍らにいるマリアが話しかけてきたのに気づき、穏やかな笑みを口元に浮かべると軽く首を横に振って見せる。
 そうして、ふと俯くと、すっかり深い皺に覆われた自分の手が目に入った。
 ―――不老不死などと大口をたたいても、所詮いつかは朽ち果てていく身。
 かつて自分から言ったその言葉が、改めて骨身に染みてくる。
 すでに飽和してしまい、すっかり物覚えの悪くなった頭、しわがれた声、真っ白になった髪。若い頃、戯れるようにして修羅場の危険をかいくぐった経験のおかげか、世間一般の老人と比べればまだまだ格段に頑丈な体ではあるが、無理をすると、もう肩や腰がすぐ凝ってしまう。
 いくら自分でわかっていても、かつては、徐々に老いを重ねていくこの身を、何度歯痒く思ったことか。
 完璧な不老不死をこの手にしてやると燃えたこともあったし、これが人間の限界かと、悲嘆に暮れたこともある。
 しかし、それらの悶々とした若く激しい感情をも、時は、穏やかに削り取っていった。
 東京の、古い安アパートの一室に住居を構え、工事現場で交通整理のバイトをしながら日々を細々と暮らしている自分。
 自分はヨーロッパの魔王と言われた男なのだぞ、と、いつかこの生活から巻き返しを図ろうとしている激しい自分を感じる中、いつしかカオスは、それとは相反する穏やかな感情が自分の中に存在していることをも感じていた。
 新たな発見を試み、日々の学習を怠らぬ反面、工事現場のバイト仲間と安酒で杯を酌み交わし、孫の自慢話や息子の見合いの相談を聞かされるどんちゃん騒ぎに混じって大笑いしている自分。どうせ食い詰めとるんじゃろう、と、大家の老婆に昼飯をごちそうされた後、他愛の無い世間話を聞かされながら縁側で茶を啜る時間に、その和やかな場所に、確かな居場所を感じる穏やかな幸福感に満たされた自分が―――確かに、いた。
 本当に不老不死を―――永遠を手にしていたら、こんなにも平穏な時間に、自分は浸れただろうか。流れる時がもたらしてくれる、穏やかな変化。
 全てを乗り越えた後の平穏―――
「……なあ、マリア」
「はい。ドクター・カオス」
 話しかければ、いつものように相槌を返してくれる少女。
 何百年経っても変わらぬ涼やかなその声に、カオスは呟くように言った。
「わしは……わしは、永遠を手に入れなくて、良かったのかも知れん……」

「イエス。ドクター・カオス」

「!」
 マリアの唇が紡いだその言葉に、カオスはハッと目を見開いて彼女の方を見た。
 先ほどの、あの、老境に至ったカオスの心が導き出した言葉。
 それは、話しかけると言うよりも独白に近く、カオス自身も相槌を期待した言葉ではなかった。返事を期待したわけではなかった言葉に思いもよらぬ応えがあったことで驚いたのか、それとも、彼女が紡いだその返事の中身に驚いたのか。
 ―――わからない。
 ただ目を見開いたまま、しばし、マリアのその顔を凝視する。
 かつての想い人の顔を写したその顔には、いつもと同じ、その唇が微笑を形作る一瞬前で時を停めたような、穏やかな無表情が浮かんでいた。
 先ほどの「イエス」の言葉は、基本的にこちらの発言は何でも肯定するようにプログラムされているマリアの、機械的な部分から発された言葉だったのか。それとも、ぎこちないながらも感情を持っている彼女の「心」が考えて発した言葉だったのか―――
 ―――わからない。
 少女のままに時を停めた姿をした彼女の顔には、穏やかな無表情がたたえられているばかりで―――
 フッと、ころころとよく表情を変えていた感情豊かなお転婆姫の顔が、カオスの脳裏を掠める。しかし、それは一瞬の事だった。
 かつての想い人の顔を、姿を模した少女人形。
 長い時を歩む自分のパートナーであり、誇らしい最高傑作である、彼女。
 マリアと姫を同一視しているわけではない。わけではないが、姫が死んでしばらくの頃は、正直、マリアがぎこちなくも微笑みを浮かべるたびに、先に逝った恋人の面影を重ねてしまった事もある。
 しかし、それも、恐らくは一時の若い感傷で―――姫への想いは、今は、穏やかな心の底に密やかに、大切に仕舞われており、マリアの顔を見て姫の事を思い出しはしても、マリアと姫を重ねて想う事はない。老境に至った今、カオスの中には、パートナーでも最高傑作でも想い人の面影でもなく、孫を愛しむような気持ちでマリアを慈しむ心があった。
 ―――年月が、人を、その感情を変えることを、自分の心の変化でもって、実感する。
(これは……確かに、辛いかも知れんなあ……)
 ―――変われない者に、とっては。
 カオスの脳裏を、今度は、いつまでも変われぬ姿のままでいる金髪の少年の顔が掠める。
 マリアはまだ良い。
 製作当時、メンタルな部分まであまり作り込めなかったマリアの精神は、心を持っているとはいえ、やはりぎこちない部分が多い。心の痛みを感じないわけではないだろうが、変わらない自分にも、変わっていく周囲にも、マリアは多少、鈍感でいられる。
 それに、すでに相当の老いをきたしている自分は勿論のこと、マリアも完全な永遠を持っているわけではない。もし、自分が完全にボケてしまうか、もしくは死んでしまった時、技術の進歩がマリアに追いついていなければ―――そんな時に何かがあって彼女が壊れたら、それで終わりだ。
 生身でないが故に、マリアは破壊された自分の身を自分だけで癒すことが出来ない。自己修復装置をやられてしまえば、それで終わり。彼女の永遠は、そこで消えてしまう。
 しかし、あの少年は―――
 変わらない永遠を持ちながら、全くの生身の体と心を持ってしまった、彼は―――
 辛い、だろう。
 それでも彼は―――人から離れることが出来なくて。
 傷つきながらも求めて、足掻いて、生きていて―――
「……」
 マリアの頬に、そっと触れる。
 柔らかいが、人間の肌とはやはり微妙に違う、失われた錬金術の産物で作られた肌。生身ではなく、それでも温かい、その、肌。
「……ドクター・カオス?」
 感情の読めない大きな瞳を、それでもどこか可愛らしくきょろりと瞬きさせて、マリアがカオスに話しかける。小首を傾げた弾みに、軽くカールした柔らかな髪が、その頬に触れたカオスの手を掠めた。
「どうか・しましたか?」
「―――ああ、いや。何でもない……。ご苦労だったな、帰るとするか」
「はい。ドクター・カオス」
 いつものように頷いて、少し前を歩き出したマリアの肩に、何となく、服の端を持ち上げて、大きなコートの中に入れてやる。すると、あまり感情を見せない瞳が、きょとんとしたように大きく見開かれた。
「ドクター・カオス。マリア・寒く・ありません」
「……良いんじゃよ。入ってなさい」
「?イエス。ドクター・カオス」
 軽く首を傾げながらも、物分りの良い返事を返すマリアの頭を、そっと撫でる。
 ―――いつか、このマリアだけが、彼の旧知の友人となる日がくるかも知れない
 そんな、どこか暗い不安のようなものを伴う予想を描きつつも、カオスは、穏やかな優しい声でマリアに言った。
「……今は、終わったんじゃ。……うちに、帰ろう……」
 そう言って空を見上げると、目に映るのはどこまでも白く輝く満月で。
 その光がいやに眩しくて、カオスが目を細く眇めていたその頃、同じ森の、別の場所で、空を見上げるエミの姿があった。

「もう、良いの……終わったから……帰ろう……」
 月に照らされ、ぼうっと青白く映る砂の空き地の中央で、エミは、ピートの体を抱き締めたまま空を見上げて、囁くようにそう言い続けていた。
 疲れがきて、眠ったのだろうか。
 小刻みに震えていたピートの背中は、今はもう、肩口に感じる穏やかな呼吸に合わせて静かに動くばかりとなっている。
 そのピートの体を抱き締めるエミの手は、彼が起きていたらきっと、苦しいですよと文句を言うであろうほど強く―――そして、どこまでも温かく優しかった。
「……もう終わったから……今は、良いの……」
 そう言いながら、天を見上げたエミの瞳に映り込む満月。
 エミの、黒い瞳に飛び込んだその満月は、くにゃりと歪んで揺れたかと思うと、星の光と一つに溶けて、すぅっと眼の端に流れて消えていく。

「……終わったから……帰ろう、もう、良いから……」

 天を見上げたまま、いつまでもピートを抱き締め、髪を撫で、優しく囁くエミの、その眼の端から、言葉の後を追うように、月光の下で銀に光る涙が溢れ続けていた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa