ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(67)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(00/10/17)

 一瞬、何が起こっているのかわからなかった。
 目に映ったのは、ねじが切れる寸前のからくり人形のように、ビクビクと小刻みに背中を震わせ、軽い嘔吐を繰り返している金髪の少年の姿。
 そんなピートの姿を、しばし呆然と見つめていたエミだが―――ピートがとうとう、その喉に指を突っ込もうとしたのを見て、ハッと我に返ると、エミは一気に丘を駆け下り、彼の腕を掴んでいた。
「―――ダメ!!何やってるワケ!?」
 喉に指を突っ込むのは、嘔吐の手っ取り早い方法だが、下手をすると喉を傷つけるだけで終わる。ピートが自身の喉に指を入れようとしたのを見て、それをハッと思い出したために、反射的に止めに入ったエミだったが。
 乱れた前髪の合間から見えたピートの表情に―――エミは、彼の手首を掴んで正面から向き合った姿勢のまま、動けなくなった。
 びくびくと、体を震わせていたせいだろうか。長い後ろ髪が前まで回ってきており、その長い髪に半分隠されたピートの顔の、その頬に、涙の伝った跡があった。
 流れた涙はまだ乾ききっておらず、月光を浴びたその跡は、白い頬の上で僅かに銀色に光っている。そして、やや俯いた顔の、ギュッと噛み締められた唇が何か赤いもので濡れているのを見て―――エミは、ピートが何をしていたのかを、ようやくはっきりと理解した。
 唇の端にこびりついている乾いたその液体の名残と―――僅かに感じる、鉄の臭い。
 何をしているのかと大声で問いただそうとしていたエミは―――それらを見て、開きかけていた口を一旦閉じると―――こちらに手首を掴まれたまま、半ば項垂れるようにして俯いているピートが落ち着くのを待った。
 強引な嘔吐の名残から、喘息のような荒く浅い息を繰り返していた吐息が、次第に落ち着いていく。
 徐々に静かになっていくピートの吐息に安堵しながら、エミは、静かに辺りを見回すと、ピートのいる所から少し離れた場所に横たわっている女の姿を眼の端に収めて尋ねた。
「―――終わった、の……?」
 もがくようにして血を吐き出していたピートの姿とは対照的に、静かに横たわるその女の様子は、安らかですらあった。時折、流れる風が地面に広がったその黒髪を僅かに巻き上げ、揺らしていく以外には、まつげの一本も動かさずに、ただ穏やかに横たわっている。両手を体の脇にまっすぐ伸ばしたまま、横になっている女は、その表情までもが実に穏やかなものだった。
 鼻先に耳を近づけてみれば、きっと彼女は、両親の腕の中で安息を貪る赤子のように平穏な吐息を紡いでいるのだろう。
 そして、それに対して、彼女を追い詰めた筈の、金髪の少年の喉から出た声は―――

「―――その人は、永遠を欲しがっていました……」

 聞いた感じこそ、ただの呟きのように穏やかであるが、その底にどろどろとした苦悩が渦を巻いて潜んでいるのを感じ取って、加奈江の方を見つめていたエミは、ピートの顔に目をやった。
「永遠が―――変わらないものが欲しいって……僕には、それがある、と―――」
 ぽろぽろと、言葉の後を追うようにして、少年の目から涙が零れ落ちる。
「世界を永遠にして、貴方を癒してあげるんだ、自分も、それで癒される、と言ってました……」
「ピート……」
 かける言葉が見つからない。
 見つからなくて、ただ、静かにその名を呼びかける。
 エミの、その声のトーンの穏やかさとは反比例するように、ピートの声の調子が上がった。
「でも―――違うんです!!彼女は、永遠に―――ずっと続いていく長い時に、癒されることを望んでいた。それは、永遠じゃない。心を癒してくれる長い時間は、「流れている時間」なんです。変わっていくんです。『永遠』じゃないんです!!だから、彼女は矛盾していた。『永遠』のまま、ずっと変わらない時間の中で、癒されるものなんか無いのに、彼女は永遠を求めて、永遠に癒されると思い込みながら、同時に、変わらないものを望んでいた……!!」

 永遠―――
 それは、ずっと変わらないものであると定義できると同時に、長い長い時の流れだと言うことも出来る。
 ―――時の流れの中で、ものは、心は、少しずつ変化していく。
 矛盾していないようで矛盾した、『永遠』の定義。
 ―――かつて、ピートもその矛盾を抱えたことがあったのだろうか。
 何かの痛みを抱えても、自分に許された長い時間が、いつか痛みを癒してくれると思って―――でも、『永遠』は違う。
 永遠は、変わらない。それは、静止した時だ。
 永遠の中で、時間は流れない。流れない時間の中、痛みはいつまでも痛みとして残り、癒されることはない。
 流れ続ける涙と共に吐き出される言葉は、どれも、その底にどろどろとした分厚く重いものを抱えているように聞こえた。

「『永遠』で癒されるものなんか何も無い。本当の―――本当の『永遠』は、変わらないんじゃない。「変われない」んです。痛みも苦しみも変わらないまま全部抱えて、生傷を負ったままで、ずるずる歩いていくようなものなんだ。そんな『永遠』、いらないんです!!変わらないものなんて、絶対に無い!!」
「ピート―――ピート、もういい!!」
 ピートの言葉が、こちらに話しかけていると言うよりは、自分自身に言い聞かせ、納得させるようなものに変わってきているのを感じ取って、エミは、ピートの肩を掴んだ。
「そんな、変わらない『永遠』なんて、僕は持ってないんです。ずっとずっと変われないなんて、そんなもの、立ち止まったまま腐っていくようなものなんです。そんな『永遠』、僕はいらない!!持ってない!!―――少しでも良い、少しずつでも良いから、「変われる」と思うから―――やっていけるんだ。加奈江さんが言ってたみたいな『永遠』、僕は持ってない!!持って、ないんです……!!」
「ピート、もう良い、もう良いワケ!!」
 興奮の余りか、ヒューヒューと、言葉と言葉の合間に呼吸が空回りしているような音が混じるに至って、エミは、叫ぶように言ってピートの言葉を遮ると、彼の頭をかき抱き、強引に口を塞ぐように、自分の肩口へ顔を押しつけさせるようにして抱き締めた。
「良いの……もう、良いワケ。終わったのよ。今は、もう、終わったんだから……それで、良いワケ……!!」
 砂で汚れた髪を撫で、肩を、背中をさすり、強く抱き締める。

   僕は、永遠なんて持ってないんです
   ……「変われる」と思うから、やっていけるんだ

 ―――自分自身にそうと思い込ませるように吐き出された、ピートの言葉。

 ―――……この、少年の姿をした彼は―――持っているのかも、知れない。
 加奈江が言っていた―――「変わらない『永遠』」を―――
 でも、そんなことは、きっと、本人にしてみたら、それはそれは、恐ろしいことで―――だから、この子は、『永遠』を否定したくて―――

 ―――……

 ピートの思いを、『永遠』の意味を―――必死になって考えようとするが、追いつかない。
 ……外見としては年上の姿をしていても、エミ自身は、所詮二十歳そこらの『小娘』。
 彼女にとって―――ずっと変わらない『永遠』とは、あまり途方の無い、深い闇だった。

 だから、何も言えなくて。
 それでも、見放すことも、出来なくて。

 エミはただ、腕の中の、少年の姿をしたその『存在』を、ギュッと抱き締めた。
 ただ―――抱き締めていたい。暖めていたい。
 その衝動は、恋情でも、母性でもなかったように思える。
 とにかく―――とにかく、この腕の中の『存在』に、少しでも何かをしてやりたい。
 それがたとえ、彼から見れば、ほんの刹那のことであっても―――

「……終わったの……今は、終わったのよ……終わったんだから……それで良いワケ……」

 肩口に顔を押し付けさせた彼は、まだ泣いているのだろうか。服の、肩口の布を通して、じんわりと湿った感触を感じるが―――それは、不思議と不快なものではなかった。

 ―――男の涙を、情けないものではないと思ったのは、初めてかも知れない。

 そんなことを、何とはなしに考えながらエミは、肩口に寄せさせた彼の頭に、自分の頬を、優しく擦り付けていた。

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