ザ・グレート・展開予測ショー

永遠のあなたへ(65)


投稿者名:馬酔木
投稿日時:(00/10/16)

 それは、突然の変化。
 結界内を感知対象にした霊波探知機で加奈江とピートの移動を追っていた美智恵達は、モニターが示した二つの魔力の動向に、少なからず驚いた。
 ピートが、加奈江を捕らえたのだろう。
 二つの魔力が重なった時、加奈江がもう一暴れぐらいするかも知れないと、結界の補強準備に入った美智恵達が見守る中、二人の魔力は、その位置を同じくしたまま、しばらく静かに動きを止めて―――やがて、片方が、もう片方の魔力へと吸収されるようにして消滅した。
 無論、消えた方は、言うまでもなく加奈江である。
 思わず、モニターから目を離して森の方を伺うが、爆発も、衝突も、これと言った変化は何も無い。
 何も無いまま、加奈江の魔力はピートの魔力に静かに吸収され、モニターの画面から姿を消した。
 二つの魔力の行方を、緊張の面持ちで見守っていた一同の上に、静寂の帳が落ちる。
 それは、先ほどまでのような、警戒心から張り詰めた空気によるものではない。それは、一体、何が起こったのかと言うことを、一瞬、誰もが理解し得なかったことによる沈黙だった。
 呆気無いとさえ言えるほど静かで劇的な終結に、令子達は、状況を把握するための時間を要した。
「―――終わったん、ですか―――?」
 現場に満ちている静けさの持つ雰囲気が、変化したことに気づいたのだろうか。
 救護車の方から、どこか掠れて聞こえる少女の細い声がかかる。
 キヌだった。
 キヌの方は、すでに救護車に収容され、モニターを見ていなかったために、何故令子達が沈黙しているのかわからなくて何となく尋ねただけだったのだが―――その、外部から投げかけられた「終わり」と言う言葉を聞いて、令子達も、ようやく状況を自覚することが出来た。
 終わったのだ。
 加奈江の魔力がピートに吸収されたと言うことは、厄珍達が言っていた通り、ピートが加奈江の中の自分の血を吸収して―――終わったのだ。
「そう……ね。終わったのよ……」
 キヌの問いかけに答える形で、美智恵が呟くように言う。
 その声が、穏やかな夜風に溶けて消える頃、張り詰めていた空気もようやくほぐれ始める。
 そして、誰かが小さな安堵の息をついた時、それに呼応するように、それまでただじっと結界に力を注いでいた唐巣が、掲げていた手を静かに下ろした。
「あ……」
 令子が、小さな声を上げて空を見上げる。
 薄いゼリーの膜のように、一帯の森をドーム状に覆っていた半球形の霊気の壁が、その頂点からすぅっと消えていく。
 ごく薄い繭のように、絡み合った霊気の糸がするすると解けて夜空に溶けてしまうのに、それほどの時間はかからなかった。
 ぱりぱりと、ごくごく小さなショート音を残しながら結界が消える。
 それを見届けると唐巣は静かに聖書を閉じ、一歩後退りしてから、軽く眼鏡の位置を直す素振りを見せた。
 その仕草は、彼が普段に見せる同じ動作と変わりないものだったが―――
 すぐには振り向かず、森の方を見つめている唐巣の背中。
 その背中にじっと視線を注ぎながらも、声をかけることが出来なくて、令子達は、声をかけようとした口を半開きにし、差し伸べようとした手を中途半端に伸ばして手を止めたまま、しばらく黙って唐巣の背中を見つめていた。
 ピートがいなくなって以来、黙々と捜索を続け、今夜、加奈江から聞かされたどんな言葉にも動揺も何も見せず、黙って結界を張り続け、言い返すことすらしなかった唐巣。
 ―――表面的には、そうだった。
 表面的には何も動揺していなかったけれど―――その、内心は?
「―――……先生……」
 何も言わない唐巣の背中に、令子がそっと呼びかける。
 それに応えるように振り向いた唐巣は―――笑っていた。
 いつもの、あの、見えないところからそっと優しく包んでくれるような、どこまでも柔らかな笑顔で、唐巣は微笑んでいた。
「―――終わった、ね」
「え。あ、は、はい……」
 眼鏡の丸い縁を、指で支えるように持ちながら、にこやかに言われて美智恵が頷く。
 唐巣は、自分を見つめている令子達の、心配げな表情を浮かべているその顔を、笑顔のままでくるりと見回し、森の方に目を戻した。
 この、眼下に広がる夜の森のどこかにいるピートに思いをやっているのだろうか。
 表情は笑んだままで、その目だけがフッと遠くを見つめるものになる。
 高くそそり立つ断崖の上から下方を見下ろすと、吹き上げる夜風が唐巣の顔を静かに撫でていった。
「―――……帰ろう」
 そっと呟くように―――しかし、しっかりとした口調で言われた言葉に、救護車の中で疲れから顔を伏せ気味にしていた横島達も顔を上げる。
「……帰ろうか。一緒に、家に帰ろう……」
「……そうじゃなあ。わしも、マリアを迎えに行くとするか」
 呼びかけと言うより、独白のように言われた言葉にカオスが頷く。
 周囲でまだ呆然としていた捜査員達も、我に返ったように撤収作業を始め―――唐巣は、大きく肩を動かして深呼吸すると、その場に腰を下ろして座り込んだ。
「―――神父。お疲れ様でした。救護車の方へ……」
「ああ。いや、良いんだ」
 座り込んだ唐巣に駆け寄り、声をかけた西条の言葉に首を横に振る。
 そして、森の方に視線を戻すと、唐巣は穏やかな笑顔のまま言った。
「―――待ってるよ。私は、待ってる」
「神父……」
「まあ……さすがに疲れてしまっているから、迎えに行くのはキツイからね。―――今回は、迎えは彼女に任せることにするよ」
「……そうですね」
 ピート君は、嫌がるかも知れないけどね、と、冗談交じりに笑って言う唐巣に、西条も笑みを浮かべる。
 べったりと、文字通り、全身で絡みつくように迫られて、必死に逃げようとしている金髪の少年の姿が、―――そんな日常が、容易に思い出されて。
 ようやく、戻れるのだ。
 あの、他愛の無い騒ぎを繰り返す、日常に。
 ―――戻って、来れるのだ。あの、金髪の少年は―――
 肌に心地よい程度に吹きつけてくる穏やかな夜風を感じながら、唐巣につられるようにして、西条も森の方へと視線をやる。
 ピートが使役していた使い魔達が、その魔力の制御を離れ、それぞれのねぐらに戻って行っているのだろう。カラスや蝙蝠のものと思われる羽音が、吹き上げる風に僅かに混じって耳に届いていた。
 よくよく見れば、小さな黒い影がバサバサと木々の上を行き来している姿も見える。
 そんな動きは、上から見る分にはごく些細なもので、その羽音も本当に軽く耳をくすぐる程度のものだが、森の中はまだざわついているようだった。
 そして、その森の中を一点を目指してひたすらに駆け抜ける人影が、ひとつ―――

 ―――エミ、だった。

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