ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(16)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/10/13)

暫しの沈黙の後。
モータァの回転音をささやかなBGMに、丈の低いテイブルを狭んで、テレサとカオスの二人の歓談が始まった。
そのテイブルの上には、整頓されてはいるが何所となく雑然とした研究室からは凡そ浮いて見える、上品な青磁のティーセットが置かれている。
ややキツめではあるが整った目鼻立ち、豊かに実る麦の穂の様にきらめく金髪、薄明かりの下に白さの際立つ肩口……言葉少ななカオスは茶を啜りながら、テレサの事を眩しそうに見積めている。
カップから立ち昇る柔らかい湯気の向こうで、テレサは眉根を寄せて、口を尖らかせた。
「そうおっしゃるカオス様だって、また随分と渋みが増してますわよ?」
「ま、まあな。」
『渋い』と言われれば、そんなに悪い気はしない。カオスはテレサの視線を微妙に避けると無難に返答し、また一口、茶を含んだ。
ここで言う茶とは、正確には香草を煎じたものだ。香草、即ちハーブに関する知識は医学は勿論、魔導に携わる者にとっては必須事項である。自称『ヨーロッパの魔王』ドクターカオスもその全盛期には、実に膨大な薬草の知識を誇る者としてもよく知られた存在であった。香草に関する知識は、錬金術師の端くれたるテレサにも授けられている。
今ではそれら知識の殆どはカオスの頭脳からは失われて(忘れられて)しまい、辛うじて残ったの知識と云うのも、道端に生えている雑草の中から何とか口に入れられそうな物を見極めるのに専ら役立っている……などと云う事は口が裂けても言えない、何とも複雑な心境のカオスだった。
「あの頃から言葉遣いやらが、やたらと時代ががっておられましたが……如何な経緯かは存じませんが、それら立居振舞いが似合う外見になってしまわれたのですね……。」
カップを机の上に置きながら、そう独り言の様に呟いたテレサは物憂げに頭を垂れると、落とした肩を小刻みに震わせる。僅かに覗いた唇は、何かを堪えるかの様に硬く結ばれている。
『あの頃』のカオスの肉体年齢は未だ三十代の若々しさを保っていたのだから、テレサの感覚からして十年そこそこしか経っていない今、老人姿のカオスに違和感を抱くのは当然である。だが元来魔法科学と云う物はまだまだ先の視えない不安定な技術であり、既に齢300を数えるカオスの身体に何かの異変が起こって、急激に歳を取ってしまったと云う事も、まあ有り得ない話では無い……やはりあからさまに狼狽の色を隠せないテレサではあるが、驚きの度合いが並の人間より遥かに少ないのは、流石カオスの直弟子と言うべきか。

13世紀当時、彼の肉体は病気の類にも冒される事は滅多に無く、また普通の人間にとっては致命傷となりうる様な大怪我にも耐えるだけの、強靭な生命力の持ち主であった……尤も痛覚はコントロウルが利かないので、文字通り『死にそうな痛み』を味あわなくてばならないが、これはまた彼の不屈の精神力の表れと言えるかもしれない。
肉体だけでは無い。頭脳も優秀であった事はマリアを始めとする発明品の数々からもその秀逸さが見てとれるのは勿論だが、記憶力もまた優秀であった。特に他の者には伝えたくない程の重大な知識は、その機密を保持する為にも敢えて書物などに書き記さなかったし、またする必要が無かった。
将来、肉体的に老化が進行し、さらに物覚えが破滅的に悪くと知っていたのなら、人造人間の製造法の核心となる人造霊魂の生成法についてのバックアップをしっかりと取っていた事だろうが、残念ながら後悔は先には立たない。
まあ、古い馴染みとの再会も果たせた事でもあるし、カオスとしてはまんざら悔やんでばかりと云う訳でもあるまい。

カオスは軽く円を描く様にカップを揺らして、茶の色彩と芳香を再度丹念に確かめる様な仕草をしている。テイスティングと云えば聞こえは好いが、昔テレサに勉強の復習と称してとんでも無い物を飲まされた経験が有るので、今のカオスは殊更慎重であった。
青い器に注がれた琥珀色の液体は、微かに百合の様な優しくも馥郁とした香りを発散している。一通り危険な香草が含まれていない事を確認すると、彼はカップの茶を一気に飲み干し、下を向いたままのテレサに語りかけた。
「まあ、不老不死、と云うのは有史以来の我等人類の悲願……だが形あるものは何時かは壊れ、そしてそこから新たなものが生み出される……そうして万物は流転してゆき、それが永遠に繰り返される。『不死の魔王』を自称しておるこの儂とて、ヒトと云う生物の中では少しばかり息が長いだけ……まして、この大宇宙の壮大な歴史の中ではたかだか一瞬の閃きに過ぎん。ほんのいつかは老いて滅びる宿命……。」

くっくくくくっ……

突如しゃくり上げる様な、奇妙な笑いが聴こえてきた。
カオスは不意に湧き上がってきた悪寒に身を震わせた。彼はこの得体の知れない不安感の正体を、その声がもたらした違和感であると断定しようとする……この笑い声は明きらかにテレサの方から発せられている、のではあるが、俯きながら肩を振るわせる仕草は先程から寸分も違わない。後頭部で大きく結わえたブロンドの総髪が頭の動きに合わせて小刻みに上下しているのがカオスには良く視えた。

……くくくっくっくくっ……。

十年来の別離に流れ往く時の無情を感じたテレサが、ただただ必死に涙を堪えているものとハナから思い込んでいたカオスにとっては、今の彼女がこの様な笑い方をしているのは確かに意外な事であっただろう。しかしその事は、彼が今感じている不安感とは直接は結び付かない。
先程あそこまで注意していたのだから、飲んだ茶の所為と云う訳でもあるまい。
目の前では、緑色のスカートの襞が、身体の揺れ方と無秩序に踊っている。

……くくくくくっっくくっ……

こうしている間にも、彼の不安は膨張を続けている。それはあたかも毒物の様に、内側から徐々に、そして確実にカオスを蝕(むしば)んでいった。潤した筈の唇も喉も、すでに干上がってしまい、その代わりに額と首筋には無数の玉の様な汗がじわじわと浮かんできている。どうした事か指先一つ動かそうにも、肩の辺りが緊張していて鐚一文も力が入らない。立ち上がろうにも、臀部がソファに吸い込まれている様な錯覚すら覚える程、腰の筋肉が動こうとはしない。

……くくくくくっっっくく……


低く響く笑い声に混じって、何とも冷静なモータァの音と早鐘の様な自身の心拍が奇妙な二重唱を演じながらも段々と強さを増して、カオスの耳朶を揺さ振り続けてくる。
我が身を強張らせる程でありながらも存在が漠然としている、この奇妙な感覚に抗(あらが)う事も敵わず、黄色味がかった明かりの中で相変らず顔を伏せたまま身を捩(よじ)らせるテレサを、カオスはただ眺めている事しか出来なかった。

遂にテレサが、その頭を上げた。
そして、またしてもカオスは、肝を抜かれた。

「……あっはははぁっははっははは……!!」
そこにあるのは、笑顔の大爆発だった。心底愉快であると言う様に、両腕で腹部を押さえる仕草で、そのまま椅子から転げ落ちると言わんばかりに激しくその身をツイストさせている。カオスは半ば呆然としながらも、電池が切れるまで自分の上げる笑い声で踊り続ける『全自動式ロックンフラワー』を想像し、心中苦笑いを浮かべた。
その苦笑いが実際の表情の方にも表われていたという事と、全身の緊張が全くなくなっている事に気付くのは、ほぼ同時であった。どうやら先程までの得体の知れない禍々しい空気は、空気清浄器のモータァ音と共に外に排出されてしまった様だ。

『はて、こんなに笑う娘じゃったかのぅ……?』
カオスは改めて、座り続けているのが不思議な位に上半身を暴れさせているテレサの笑顔を観察する。そして茶の所為かすっかり身体が暖まり、軽い眠気すら感じた彼の意識は、『あの頃』へ向けてゆっくりと羽叩き始めた。

今までの コメント:
[ 戻る ]
管理運営:GTY+管理人
Original GTY System Copyright(c)T.Fukazawa