ザ・グレート・展開予測ショー

プロメーテウスの子守唄(15)


投稿者名:Iholi
投稿日時:(00/ 9/29)

程無くして、美神は大仰に頷き、胸の前で膳(かしわで)を打った。
「……あっ、そうそう、あのヴァン=ヘルシング教授の孫娘……何て名前だったかしら……。」
「………………」
アン。ピートは勿論、その少女の事を良く知っている。しかし彼はその名を心の中で呟くに停めて、ただ一向(ひたすら)に美神の動向を目で追い続けている。
アンは恐らく、彼のファンを自認する女性の中でも最も危険な部類に入るだろう。尤も、ピートにとって彼女は友人の娘であり、世話の焼ける妹分、と云った立場である。
そう、もうそれはそれは世話の焼ける娘だ。
どの位世話がかかるかと謂うと、『ピートお兄さまに、お手製の愛情弁当を届ける』という何如にも少女じみた行為の直後の彼女に対して、無差別破壊行為の現行犯として即時国外退去命令が外務省名義で通達された程である。
まあ、この時に発生した『事故』に於いて、学校等々の施設にあれだけの損害があったのにも関わらず、一人として死傷者が出なかったのは幸いであった。
結局、事件そのものは公表されないまま、当面の国外退去のみが、アン・ヘルシングに命じられる事になった。この時にアンが(何故か)装着していたイージススーツ・ダビデをはじめとしたヴァン=ヘルシング教授特製・対吸血鬼用オカルト兵器の数々が個人的に、かつ美術品扱いで正規に輸入された物である事が明らかになったのである。
そして何より、彼女はまだ、未成年である。
まあその裏では、オカルト関連の税関の甘さについての情報を外部に漏らさない事を条件とする旨の密談が、外務省とヘルシング家の代理人として立ち廻った美神令子との間に交されると云う一幕が有ったとか無かったとか。
ともあれ日本は、ピートにとって当面の間は暮らし易い国になったと云うわけだ。

「でも、彼女の場合、写真を見せた時の反応を直接確かめるにはわざわざイギリス迄行かなくちゃいけないし、何かと面倒なのよねえ……。」
しかし、初めからピートは承知していた。結局美神はその女の事が言いたいのだと。そして今迄の美神の一人芝居も、全てその為のお膳立てに他成らないのだとも。
となると、先刻アンの名前を思い出せなかったのも、自分の口から言わせるために態とそんな振りをしていたのかもしれない、とも思い始めていた。
何度目の往復だったか、ピートの真正面に来た所で、美神は立ち止まった。
そして、俯き気味のピートの顔色を伺おうと、蛇の様に上体を反らして彼の顔を覗き込むと、美神は殊更愉快そうにその口元を緩ませた。
ピートの漠たる予想が、確たるものへと変わった瞬間だった。
「でも、一番面白そうなのは、……んふふふ、やっぱ、」
「…………」
「エ・ミ、だわよねぇ。」
「…ほおっ……」
エミ……心の準備をしていたのにも関わらず、反射的に身を震わせたピートの喉から、何とも奇妙な音が漏れた。
美神令子と並んで、日本を代表するスイーパーの一人、小笠原エミは自称『ピートに一番先にツバつけた』女。呪術師を営んでいるこの女性の執念深さは自他共に認める処であり、その上サディスティックな面も持ち合わせているときている。
対するピートの方は、決してマゾヒストであるとは断言できない(否定もしない)が、美神を含めたこの手の自我の強い女性にはどうした訳やら頭が上がらないときているので、下手に弱味を握られた日にはどうなってしまうのか、想像を絶するものがある。
しかも今回のネタは幼い頃の女装写真である。美神曰くの『紫外線色ボケ女』がその写真を手にした時に、自分が一体どの様な目に遭わされるのか、果敢かつ愚かにも想像してしまったピートは、そのまま震える頭を抱えて踞(うずくま)らざるを得なくなった。

その孤独で無力な両肩に、そっと優しく手が置かれた。
「……みんなには内緒、って言ったじゃないですか……。」
上目に美神を睨んだまま、ピートは怯えにも似た口調で彼女に訊ねる。
零れ落ちそうな程の満面の笑顔を湛えて、美神はその問いに答える。
「それは、今回ここ、13世紀に来ているみんなには、って意味よ? 大丈夫、写真の方はエミに渡したが最期、独占欲の強いあの女の事だもの、絶対それを手放したりはしないでしょうから、他のみんなに知られる事は、絶対無いわ。」
「そう云う問題じゃ無いですよ!」
「あ、カメラの方は私が厄珍堂に特別に注文した特注品だからね、物理的にも霊的にも、中のフィルムはあらゆる衝撃から完璧に保護されているわ。だからそれはもう、どんな事があったって中の写真は……」
「そう云う問題でも無いです!!」
この懸命の抗議でさえもこの女の分厚い面の皮には曇り一つ付けることは出来そうにないと、ピートが諦めかけていたその時だった。

「……なんてね、ウ・ソ・よ、嘘。冗談。」

一転、美神は破顔する。
寧ろ茶目っ気すら覚えるような淡い笑顔で、ちろっと舌を出して右目でウィンクした。
唖然としているピートの潤んだブルーの瞳に思いの外に動揺の影が差している。しかしそれを確認した美神は申し訳無さそうにするどころか、両手を腰に当てて、ちょっぴり不満そうに眉根を寄せて、ピートの方へと歩み寄った。
「ちょっと、ピート。 まさかこの私が本気であなたを脅して、何かさせようとしてるとでも思ったの? ふん、そこまで私の事を見損なわないで欲しいわね。」
「…………はあ。」
予想外の美神の転身に、ピートは両目をぱちぱちと瞬(しばた)かせるしか無かった。
「ほら、しゃんと立つ! もう、これしきの揺さ振りで、情けないんだから……。」
そうぼやきながらも差し出された右手に掴まって、ピートは立ち上がった。
やや低い位置に、美神の頭部がある。こうして観ると彼女だって、まあ体系はともかく……人並の体格を備えた一人の女性にしか見えない。それでも全く、この女性には振り回されっぱなしである。自分よりも彼女と接する機会の多い横島たちの日頃の気苦労を思い遣る余裕まで取り戻しているのにピートは気付く。何故か先刻の自身の醜態を不意に思い出してしまい、彼は内心苦笑せざるを得なかった。
「まあ、さっきに写真の話は冗談って事で……実はね、あなたに一寸協力して欲しい事が有るのよ。」
「協力、ですか。」
今のピートの顔からは、先程までの様な怪訝さは奇麗に拭い去られている。それどころかいつもの理知的な輝きが、そのオーシャンブルーの双眸に戻っている。以上の事を確認した美神は、姿勢を正して改めてその青年と向き直った。
『そう……この、得体の知れない胸騒ぎの正体を確かめなくっちゃね……。』
何気無い風に首筋に当てられた美神の右手にはネックレィスのトップ――大粒の精霊石――が握られている。無意識に込められた腕の力に呼応したかの様に、手の中の丸い結晶は鈍い光を帯びていった。


「ほう……何だか、懐かしい感じがするのお……。」
カオスは部屋を一瞥するなり、そう呟いた。
「……棚の位置とか、台の高さとか、自分の遣り易い様にあれこれと工夫はしてみたのですけど……結局、『ラボ』とそっくりに成ってしまったんですの。」
少し照れ臭そうに、テレサが答える。
ここでの『ラボ』とは、カオスの研究室の事。本格的に錬金術の手解きをする前から、テレサは城から僅かに隔たっているこの『ラボ』をよく訪問していた。その所為で『ラボ』での遣り方が、テレサの身体にしっかりと染み込んでしまったのかも知れない。家具の位置やら形状やら、それらはあらゆる点に於いて『ラボ』と酷似している。
何所からか冷蔵庫のモータァが回っている様な音が、小さく低く聴こえてくる。橙色の優しい常夜燈の灯に照らされた研究室の何所を見ても、聊かの埃っぽさはおろか、薬品臭さすらも感じられない。余程性能の優れた空気清浄器が働いているのであろう。
先行するテレサに導かれ、城で最も見晴らしの優れた場所に位置していると謂う、この研究室の中にカオスは入っていった。仮眠用のカウチの位置まで『ラボ』と同じであるとは、これまた恐れ入る。そつなく背後に回ったテレサに薄汚れた外套を預けると、カオスは改めて室内を逡巡した。そして外套をクロウゼットに掛け終えたテレサの右手を取り、先に彼女を椅子に座らせてから、自身はカウチの方に腰かけた。
「………………、ん!?」
丁度カオスの眼の高さに、テレサの胸部がある。僅かに着崩れた緑色のドレスの胸元には、薄明かりに色付いた二つの果実が、瑞々しい色香を匂わせている。と同時に、先刻の過激な挨拶の感蝕が、カオスの両頬に鮮明に蘇えってきた。彼は慌てて左斜め上45度あたりに視線を移すと、スカーフを緩めるべくあたふたと首筋に右手を伸ばした。
「……ふう。」
「……ぷっ、くふふ、くふふふふふ……」
カオスの態とげな溜息を合図に、テレサは小刻みに肩を揺らして笑い出した。
あまりの屈託の無いその笑いに誘われて、遂にはカオスの方も、声を上げて笑った。
一仕切り笑い合うと、テレサの紺碧の瞳が、陽気に笑うカオスの姿を捉える。
「……ふふふ、わたくしも、あの頃からは少し大きくなったんですのよ。」
一瞬カオスは、『ちち』の事を言っているのかと思った。しかしその思考につられて視線がそちらに往きそうになる自分に気付き、何とか顔の方に集中しようと思い直す。
『やれやれ、あのアホ坊主のスケベでも、うつったかの……。』
心無しか気が若返ったカオスは、それを勝手に他人の所為にしていた。
嘗て、『ラボ』で話をする時には、決まってこの位置を確保していた。すると丁度お互いの顔の高さが一致するのだ。余りにもこの研究室の構造が『ラボ』と似ている為、カオスはつい馴染みの所作を取ってしまったものの、成長著しいテレサの顔の高さは思いの外上方に修正されていた、と云う訳である。
「……そうじゃのう。あんなに可愛かったテレサが、もう今では……」
「あら、今では可愛くないとでも?」
テレサは、おどけた様子で唇を尖らせてみせる。
「……もうすっかり、立派な伯爵夫人……そして立派な母親なのじゃな……」
「………………」
短い様で長い時の壁に隔てられた二人を包み込む様に、モータァの音すらも打ち消すような暖かな沈黙が、研究室に流れた。

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